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こども菜根譚の教えの背景


だいすけです。


週末、子どもに本を音読してもらい、
その内容について話し合う。


過去にその内容に触れた記事はいくつかある。
※この記事の下にリンクを貼っておきます。


今、長男が読んでいる本は「こども菜根譚」


先週、読んだ内容は・・・


「徳は才の主にして、才は徳の奴なり。」


徳=人格とし、才=能力とする。

つまり、
能力より人格が大切であることを伝えている。


これは、言ってみれば前回の記事で取り上げた
稲盛和夫さんの考え方と同じ。


考え方 ✖️ 熱意 ✖️ 能力

       =人生や仕事の結果



考え方がマイナスのベクトルであると
全てが掛け算でマイナスへ進む。
だから考え方が大切なのだ…と言った内容。



子どもを突然連れ去った妻と義母。


例えば、会社支給のPCを持ったまま、突然退職。
どう考えてもアウト。誰でもわかる。


子どもの連れ去りは?


モノではなく人。
しかも、「子ども」

百歩譲って…
大人の気持ちを優先にした以上は
子どもの気持ちを最大限ケアして欲しい。


しかし、実態は異なる…



日本のシステムエラーを起こしている制度を盾に
金の話しかしない。

最悪は、子どもに悪口(しかも嘘だらけ)を言い
パパと会うことを制限しようとして
何度も子どもと口論している。


マイナスな考え方しかない。


義母は家族内で
「絶縁」している人がいる事を忘れていた。
今、思えば「絶縁」って普通ではない…


「パパはもう家族じゃないのよ。ただの親」


と義母は子ども達に言ったらしい。
それって子どもに言うことか?



妻が外面完璧に演じるのは義母譲りだったのだ。
僕は義母の正体を見抜けなかった…

外面を完璧に演じる事がダメとは思わない。
ただ、背伸びしたり、偽りの
自分を演じるのは苦しい事。


子ども達に幸せになってもらいたい。
だから、子どもには
演じることなく「自分らしく」生きて欲しい。


でも、
この苦しさに僕はどう向き合えばいい?


最近、ふと思うことがある。


日本の制度や司法は
子ども達がどれだけ別居親を求めても、
別居親がどんなに子どもを想っても、

「そんなの必要ない」の運用。


今までそうやってきても社会は回っている。
例え、子どもが一時的に犠牲になっても、
みんな強く育つもんだよ…と主張するのだろう。


だから、僕がいなくなったら、
妻と義母は目障りがいなくなることで、
子ども達に真剣に寄り添うかもしれない。

ただ、いずれ自分ファーストで
子どもは苦しむことにはなるだろうけど、
子ども達は現状をしっかりと捉えているので、
きっと、反面教師として学んでいくことで
強く生きていける可能性も十分にある。


僕は共同養育実践親。
しかし、平和的ではないケースの子育て
なぜなら日本が共同養育を求めず
シングルで子育てを推奨する社会のため
そこに抗う苦悩が常につきまとう。

いっそ…
僕がいなくなる考え方はマイナスだろうか?


菜根譚からの教え

「徳は才の主にして、才は徳の奴なり。」


いわば、そうでないケースの
支配?する人がいた背景から、
この様な教えもあるんだよなぁ


ちょっと色々考えすぎて疲れたな。



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最後まで読んで頂きありがとうございました。


子どもは大人より
適応能力が高いと言われます。

それは子どもは
自分が無力である事を本能で知っているから。
離婚による環境変化を
子どもは受け入れざるを得ないのです。



「パパもママも仲良く一緒に楽しく!」



と思っている子どもの思いを
大人都合により
子どもの思いを裏切ってしまっているのです。


離婚を考える時、
最優先子どもの視点に立ってどうするか?
日本も明治時代の法制度の運用から、
世界スタンダードの
共同親権での法改正へと向かっています。


離婚を考えている人は、
その事実を子どもがいずれ知った時に


「親のわがままだったな」と思われないよう
「頑張ってくれてたんだな」となる様、


大人都合より子ども最優先で考えるべきと思います。


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共同養育は離れて暮らす「子育て」 子育てなので正解はありません。多種多様です。僕の共同養育もあくまでもひとつのケースですが、共同養育を実践する上で大切な事や考え方、子どもとの接し方等について、ご相談お受けいたします。