会わなくても関係が疎遠にならないのが友というものであるのなら。

身動きが取れないほどに重たい腰が動き出すのを待っている間にも、「兄弟」のように接していた友達はメキメキと実力と確かな経験を身につけていく。


一枚の絵を描こうか迷っている間に、五枚をひたすらに描いてたくさんの人の品評を積極的に求めにいく。苦言を呈されることを今頃躊躇ったりしない。

ただ眠たいという理由ですやすやと眠っている間に、アクティブに外出してオーガニックの食事をSNSにアップして、ジムに通い、本をたくさん読んでいる。

黙々と本を読んだり映画を観てる間に、誰かとおしゃべりして仲を深め、冗談半分でやりたいと言っていたことを実現に向けて動いてみたり、数珠繋ぎのようにコネクションを増やしていく。



数年前には同じ場所にいて、似たような境遇で話し合いと意見の擦り合わせを重ねていた。真面目なシーンでの話し合いだけでなく、プライベートでも散々遊びに行った。何軒の古着屋を巡ったかはもう思い出せない。

似たような趣味の中で傾向は違う。内向的な自分とは鏡のように映っている。


しかし、あくまでそれは数年前の話。今では稀にLINEでやり取りするぐらいで、互いの進捗状況を報告しながら、安否を確認している。LINEでの会話すら面倒に思ってしまう性分なので、何かのきっかけで始まったやり取りもすぐに途切れる。

互いを嫌になったとか距離を置きたいとかではなく、今のこの状況下で頻繁に会ったり、連絡を取る必要がないことをなんとなくわかっている。

違う分野で各々でやっていこうと分岐点を迎えてからというもの、直接面と向かって表情を確かめながらその場の空気感を分かち合うことがなくなった。

今はお互いを必要としなくても、支えの松葉杖にしなくても自分の足で立つことができる。むしろ今でも頻繁に顔を合わせようものなら、当時の互いの目標の妨げになるのもよくわかる。だから会いたくない。


夜にフォーカスして音楽だけに聴覚を集中させながら作業を進めて、眠たくなってきた朝には、目を覚まして一日を始める人がいる。

いつも通りの朝、何の変哲も無い朝、二人の時間を分かつ朝。

今頃味わい深いコーヒーとモーニングを探しにいく散歩にも出ていることだろう。


今どうしているのだろう。

本音を言うと少し気になるし、今一度LINEを入れてみてもいいのかもしれない。


それでも、ここはぐっと我慢して、立派な朝の到来を越え、工事の音が鳴り響く八時半を確かめながら意識を遠のかせる。


夢に登場してくれたら一番楽だなと夢物語のようなことを空想しながら、次の夜に備える。






自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。