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2時間無料の駐輪場とゆっくり動くエスカレーター。


何か追い込まれているわけでもない、課題の提出に迫られているわけでもない、夜に見たい番組があるわけでもない、恋煩いをしているわけでもない。


なのに、私は夜に眠るのが苦手で苦手で苦手だ。

ぼんやりと眠ることに恐怖を覚える人は意外といるらしく、というか立派な病気?体質?としてあるらしく、これは「不眠症」もしくは「恐眠症」という名前がついているらしい。最近YouTubeで見かけたが、霜降り明星のせいやさんも同じことを言っていた。


イメージで言うと、スマホのバッテリーが20%になったらスマホを充電するのが普通の睡眠だとしたら、0%を迎えてもう機能しなくなる状態になってから充電するのが私の睡眠だ。

夜の誰も干渉してこない時間で考えが巡り巡ってしまう時間だからこそ、見えないし起こり得ないような不安に脳内を支配されたり(被害妄想に近いかもしれない)、寝ているうちに次の日がやってくることが嫌で拒んでいたりと、とにかく寝るという行為が怖くて仕方がなくなるのだ。

それ故に、私のここ最近の入眠時間はAM4〜5時が当たり前になってしまっていて、日付を超えるような時間に眠れたのがいつなのか、もう思い出せないほどである。

気絶するように入眠して、ギリギリに飛び起きるような毎日を繰り返している。

朝型の生活が望ましいと語るキラキラした人の顔は眩しくて見ていられない。
こっちをそんな目で見ないでよ。

夜型であると必死に誤魔化してきたが、特に何かをしているわけではなく、ただ単に眠れずに夜を過ごしているだけなのだ。

解決方法を探りに病院に行くのはまだ早いだろうと思いながら数年が経っている。

診察に行ってみての感想を見つけたらこちらにご一報ください。


そんなこんなでバタバタの朝を終え、自転車で近所の本屋を巡り、コメダ珈琲店でコーヒー一杯でゆっくりと、それはそれは焦る要因もなく時間を過ごした、と思っていた。自転車を置いていた駐輪場は2時間まで無料で、それ以降はお金が取られる。

コーヒー片手に、流れるプールのように時間に体を任せていたのに、店を出るや否や、小走りで道を進む。途中に現れたエスカレーターは止まっているのかと錯覚するほどゆっくりと下に人を運ぶ。待ちきれずにエスカレーターを駆け下りた。「急がずに生きる」と決めてから初めてエスカレーターを歩く人になっていた。理由なくエスカレーターを自分の足で進む人は、「人生生き急いでいるな」とかちょっとかっこつけながら見ていたが、それどころじゃなかった。

急いだ甲斐あって、駐輪場は無料で済ませられた。

胸を撫で下ろし、次の場所に移動し、3時間無料の駐輪場に自転車を止めて、次の用事に向かうのだった。

盛りだくさんで疲れちゃったな、今日はもう眠れるかな。







自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。