日記 やりきれない日々に/思い出したこと

 今年に入ってもう三月も半ばを過ぎた。明明後日は誕生日。漸くだかあっという間だか25歳になる。我ながらよく生きてきたような気もする。

 近頃は宗教に関連した夢を見ることが増えたように思う。目が覚めると大抵は忘れてしまうのだが、私にとっての非日常であり日常だった記憶が整理されているらしい。随分と閉ざされた世界で生きてきたんだなと実感した。
 宗教にはノルマが付き物だった。それこそ伝統仏教と根本的な質が違う所以だろう。元々長く務めていた〇〇という、私の実の名付け親である住職は左遷されたのかある日突然本山へ戻り、別な住職が派遣されて来た。恐らく、〇〇会とかいう大々的な行事でノルマである信徒数にサバを読んだのが原因ではないかと私は思っている。日頃の実際の参詣者数ではなく名義的に登録された人数をカウントしたのである。要するに勧誘され一度訪れたきりで信徒とまでは至らなかった人々である。若しくは全くのはったりだった可能性も浮上していた。何にせよ「嘘をついている」と両親が言っていたのはよく覚えている。

 当時、これにより元々信仰の厚い両親は疑問と反感を抱いていた。私が決定的に宗教に疑念を抱くようになったのもこうした経緯があってのことだった。結局は美辞麗句を語っただけのセールスで、住職というのも企業の役職に過ぎないのだと思うようになっていった。それに振り回されている両親、家族にも益々疑念が湧いた。私達は何をしているのだろうか?何の為にここに居て、時間を浪費しているのだろう。夜な夜な参詣して題目を上げては、決して手に入らない夜明けを欲しているようだった。

 勿論、そんな生活で状態が回復することもなかった。基本的に夜型の生活を強いられ眠りは浅く、そして早朝にまた勤行の為に題目を1時間半も掛けて上げさせられる。当然ながら正座をして。睡眠は4時間取れていればまだマシな方だった筈だ。当然昼間は眠く、体調も安定しない。それでいて、母はヒステリックに怒鳴るのだから心臓に悪くて仕方がなかった。これが私の日常だった。加えて最悪なことに、当時の私はこうした諸々の問題を抱えていながら誰にもまともな相談はできず、また疑念を抱くことそれ自体を非難されていたが為に自分の本心を押し隠して生きる他になかった。記憶が曖昧になるのも無理はないような気がする。それでもこうしたことは時々思い出すようで、当時の感覚-とりわけ畳や焼香の匂い、太鼓の音等-はふとした瞬間にほぼ現実のものと化す。
 神聖さを全面に押し出していながら蓋を開ければ人間の邪心を覗き見るような気味の悪さ、居心地の悪さを思い出す。鈴の音は眠くて当然な時間に耳を劈くように響いた。何もかもが不健全で、散らかった部屋の中では長たらしい題目か或いは怒号か泣き声ばかりが木霊した。

 これが私の日常だった。子供の頃の思い出だった。

 昔のことをよく思い出すようになったことは、ある意味過去から遠ざかり現在を見つめる上で状況が安定してきたことを意味するのではないかとも思う。一度切り離して忘れようと努めていた過去を現実に起こったこととして再整理しようと心が働きかけているのかもしれない。私にはそもそもカルトは必要なかっただろうし、家族とも離れたことでその特殊で奇妙な生活とも距離を置けたことで再度「これは不要だった」と確認して安心したいのではないかと感じている。納得できるまでは洗脳というのものは恐ろしいもので、特に私の育った家庭の場合は親の接し方そのものに取り込まれてしまっていたが為に親の愛情を疑うことと宗教理念を疑うことがほぼ同一なものと化していた。というかはっきり両親に揃って言われた。
 「やりたくないなら家の子でなくていい」と。
 やらなくてよくて、親を選べる権利があるなら勿論そうしたかった。それが本音だった。そしてこうした言葉で子供を責めるときだけ両親は不仲を忘れたように意気投合していた。それもまた酷く傷つくことだった。

 こうしたことを書いていて、もう涙も出てこないのは辛い出来事という認識を超えてしまっているからなのかもしれない。あまりに淡々として、根底に諦観があり、家族への「大きな失望」が経験として残っていると苦しみよりも先に壁一枚隔てたやりきれない軽蔑と怨恨が手を組んで過去をじっと見つめているのである。ただそれだけなのである。


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