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模倣する力 1

人間も含む哺乳類には、生まれながらに模倣して育つ力があります。しかし、人間は子育てにおいて、この大切な模倣する力を削ぐような子育てを知らず知らずのうちにしてしまい、子供の生きる力を弱めてしまっている人は少なくありません。

模倣は「自己選択する力」も育みます。
第一次期にあたる7歳頃までは模倣ベースに育ち、それからの第二次期の14歳頃までは、尊敬(憧れ)する人のようになりたいと目指せるようになれることが理想です。
どちらも模倣が強く関係してきますし、第一次期においての模倣力が第二次期の目指すところに向かって自分から成長する力へと繋がってきます。

第一次期は、見よう見まねの目先の“手段の模倣”で、第二次期は自分を知って、尊敬する人達のように自分をどう近づけていくかを考えて実践していく目標に向けた(手段ではない)“憧れへの模倣”となります。
第二次期を正しく成長していけるためにも、第一次期の手段の模倣は大切で、この時期につけた模倣の自信が、自分への自信に繋がってきます。
模倣ではなく教えられて出来るようになっていく子は、教えられないと自分で育たない子になりやすく、親や先生達の求める人(答えを求める人)になろうとし、自分自身という個性を見失った人間になってしまいます。
第一次期の模倣では、主たる養育者が上手に模倣力を高めてあげるための配慮は欠かせません。
「あーしろ」「こーしろ」と言いながら理想に向かうのではなく、模倣を促しながら理想に近づけていくことは出来ますし、それが生きる力を育てる大切なことになります。

子供の持つ成長したい本能は、模倣という欲求として現れ育っていきます。
模倣させずにやらせたり、教え込んだりして育てるのは、お手本を提示していたとしても模倣にはならず、それは、何事も出来るようになった時点で完結してしまい、それ以上の成長の可能性を摘んでしまっていることになります。
模倣で大切なのは、模倣に至る過程も大切で、子供の中で起きる発見や観察、想像を伴うものが必要です。

主たる養育者は意図的に子供を成長させようとするなら、模倣したいと思わせるように促すことが大切になりますが、この促すためのコツがあります。
・興味を持たせる 
・興味を削がない
・やらせない、誘導しない
・目的を伝える(言葉の成長に応じて)

子供が初期に見せる模倣による大きな成長は、二足歩行になります。この二足歩行を意図的に教えることは、特殊な事情を除いて殆どありません。
周囲の人達が二足歩行をしているのを見るから、子供は自然と模倣して立って歩くようになろうとしていくように、子供には本来こういった模倣する力が最初から備わっており、その力を存分に引き出してあげれば、教えようとしなくても選択的思考でもって自発的に出来るようになろうとしていくものです。

子供に興味を持たせるためには、やっている所をたくさん見せることです。
そして、やってはいけないのが興味を削ぐことです。
よくありがちなのが、興味を削いでしまっているのをやってもらおうとして、義務的思考にやらせてしまうことです。
“後片付け”や、“お掃除”といったことをやってくれるようになるために、模倣したいと思わせるところを見せていますか?ということです。
大人達が“嫌な気”でやっていることは、子供も模倣したいものではなく、避けたいことになってしまいます。
“後片付け”はもちろん、自分で出したら自分で片付けるのを教えることは大切なのですが、やらせるのではなく、主たる養育者が“後片付け”を進んで(嫌そうな素振りは絶対に見せず、出来れば笑顔で)やっていることを見せ続けることで、子供も“後片付け”という行動を模倣したくなってくれるものなのです。
子供が模倣してやりたがることの多くは、親が嫌な雰囲気を出さずにやっていることです。
例えば、ハサミを使うこと、爪切りを使うこと、耳かきを使うこと、ボックスティッシュからティッシュを取ること、包丁や火を使って料理をすること。
これらの、小さい子供にはやってもらっては困る(怖い)ことの多くは、主たる養育者が嫌ではなく当たり前にやっていることばかりです。
これらの例のように、“後片付け”も楽しくやって見せることまではしなくても、当たり前のようにやって見せていれば、当たり前に模倣してやってくれるようになります。

そして、年齢が行って言葉が分かるようになってきたら、言葉で付け加えて模倣のための興味を増したり、正しく模倣をしたりするための“目的”を伝えてあげると良いでしょう。
“後片付け”を教えたい頃は、子供もだいぶ言葉の理解が増えている頃です。「使ったら片付けようね」は言うことすら無意味なのですが、やって見せた後に「きれいに片付いてスッキリ気持ちがいいな。」と喜んで見せ、“後片付け”の目的は何なのか。を教えてあげることです。
そうすれば、違う場面であっても「きれいに片付けてスッキリさせる」を目的に考えて、自分から“後片付け”をやれるようになっていきます。

子供に“食事前のテーブル拭き”を、やってもらうようにしたければ、テーブル拭きを義務として役割にするのではなく、何をすれば良いか分かりますね?
掃除のときに、掃除機に興味を持って邪魔されるのではなく、雑巾やハンディーモップ、ハンディーワイパーで手伝ってもらいたければ、何をすれば良いか分かりますね?
子供に出来るようになってほしいことは、主たる養育者や周囲の大人達が、それをやる目的は素晴らしいことで、良いことなのだ。と態度と言葉で模倣を促していくことです。

そして、第一次期の模倣で上手に育った子は、第二次期では憧れや尊敬の対象となる大人を感じられるようにしてあげることです。今のネット社会の副作用はここにもあります。
他者への批判や攻撃や妬み、上げ足取りなどが当たり前のようになってしまっており、第二次期の子供達は大人に対する憧れや尊敬を持てなくなって、自分を成長させるのではなく、いかに自分を守れる人間になるか。になってしまっている傾向があり、この守りに入る状態は結果として人間の成長を止めてしまいます。

・第一次期では、教え込んでしまって模倣力を奪うことで、成長を止めてしまいます。
・第二時期では、憧れや尊敬の念を奪うことで、成長を止めてしまいます。
第一次期も第二次期も、これらの成長を止めてしまうことは、人間の生きる力を育てなくしてしまっていることにもなり、将来の心の病のリスクが高まると言えます。
第二時期の憧れや尊敬の対象となる人物は、偉人である必要はありませんし、対象者の全体像である必要はありません。それより、身近な人の持っている一部分の良いところの寄せ集めで良いのです。
その視点は、子供自身が完璧主義になろうとするのを防ぎますし、他人の良い所を見つけられて自分の良いところも見つけられる人になるというもので、今の子供達にはこういった視点も持ってもらうことが必要になってきています。

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