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バッド・ミソジニストの懺悔

3月8日に生まれて

3月8日生まれ。星座はうお座。包容力がある、慈悲深い、溢れんばかりの愛情、ロマンチック、繊細。それがうお座の特徴。誕生色は紅梅色。特徴は愛に満ちあふれた女らしい人。色言葉は愛情、安定した精神、女性らしさ。(3月8日生まれの男は?「占いなんて女が好むもの」だから別にいいの?)「1日1作」と謳って紹介されるものごと。例えば映画。その9割は婦人参政権をはじめとした女性の権利をテーマにしたもの。ああ、またか。見ないでも分かる。だって私が生まれた日は国際女性デーだから。男女平等は大切。はいはい分かってる。あーあ3月8日って面白くない、そう思っていた。

"モテ子"になりたかった、でも女として扱われるのはごめんだった

平成は"モテ"という概念が一世を風靡した時代だったように思う。モテ至上主義。平成初期に生まれた私の学生時代は、どのタイミングを取ってみても"モテ"が権勢を誇っていた。「楽しくてキラキラした学校生活を送りたいなら"モテ子"になれ!(ただし"ぶりっ子"はぜったいにぜったいにNG!)」ティーンズ誌は口を揃えてこう主張した。同じような年齢の人には理解してもらえるだろうか?当時の私にはそれが誰にとっても最重要の課題であるかのように見えていた。

笑顔がかわいくて、髪型がおしゃれで、誰にでも優しくて、いつだって他人に貸せるような文房具を持っていて、服の袖は長めで手がちょっと見えるぐらいで、自然に(!)上目遣いとアヒル口ができて、思わず守ってあげたくなるような、「男の子にも女の子にもモテモテな女の子」に、私もなりたかった。もしそうなれれば、人生成功だ!

雑誌で仕入れた"かわいい"を纏おうとしてみたり、逆に高い声をカバーするためにほんの少し言葉を遣いを乱暴にしてみたり。今思えば涙ぐましい(主に羞恥で)努力をした。まるでモテなかった。

小中学生の頃、私は勉強が得意だった。田舎の学校の狭いコミュニティーに、同じぐらい勉強が得意な女の子はいなかった。勉強という同じ競技で戦っているはずなのに、ライバルたる男の子たちには同じ土俵には上げてもらえない。その頃の私はほんのり孤独な、しかしそれを跳ね除けて余りある、ただのプライドの塊だった。そしてモテたかったはずの私は、どちらかというと他人から良く思われないことも多かった。

そこに因果関係があるかなんて判断のしようがない。むしろ性格の方に問題があったのでは?と思うけれど、でも当時の私はこう思っていた。「女"なのに"勉強が得意だからやっかまれているんだ。」そしてさらに悪いことに、勉強が得意な男の子たちに対してこう思ってもいた。「私が女だからといって何が違う?私はお前たちと変わらない。そこらへんの女の子たちと一緒にされてたまるか。」

残念ながら大人になったからといって、基本的な考え方が自然にアップデートされるなんてことはなかった。女だから排除されているのだと感じることは幼い頃より格段に減った。だから過ごしやすくさえ感じていた。「周りを黙らせるだけの能力がありさえすれば良い。その人に能力があれば、どんな性別かなんて取るに足らない問題になるはずだ。男女平等なんて、今さらわざわざ口にしなくても。」あえて言わないまでも、どこかでそう思っていたことを否定できない。

「能力さえあれば」、本当にそう?

そうじゃないのかもしれないと気づいたのは、ある文化を知りたくてそれについての本を読んでいるときだった。「(その世界には)女性蔑視の考え方が根強くあります。」そう語る有識者たちの言葉の端々から、その人たち自身の女性蔑視的な思考が透けて見えた。

それを読んだとき、悔しくて泣いた。その文化では当たり前にそうだからというのを隠れ蓑にした攻撃の卑怯さに。女性が女性であるという理由で、あまりにも自然に軽んじられるその理不尽さに。自分のこれまでを全部棚に上げて。

そのことをきっかけにフェミニズムについて知りたいと思うようになり、本を読み始めた。

「男女平等なんて」と思っていた。なんの疑問もなくそう思っていられたのは何故か?私が恵まれた環境にいたから?ラッキーだったから?それとも差別に気がつかないぐらい鈍かったから?あの飲み会に私が行く必要があったのは実際のところ何故?どんな役割を言外に求められていた?私が私自身を評価してもらえたと思っていたあれもこれももしかして、その組織におけるアファーマティブ・アクションの対象とされていただけでは?知るほどに気づくようになった。心当たりが後から後から出てくるようになった。人が性別によらず平等に扱われているなんて、もうとても思えない。

そしてそれは同時に、自分がこれまでいかにミソジニックであったかについて考えさせられる機会でもあった。

バッド・ミソジニストからバッド・フェミニストへ

「私は公然と「バッド・フェミニスト」を名乗ります。なぜかというと、私は欠点だらけで、人間だから。私はフェミニズム史を熟知しているわけでは決してありません。フェミニズムの最重要文献の数々も、満足には読めていません。私はフェミニズムの主流からはずれてしまうような関心、個人的資質、意見を持っているけれど、それでもなおフェミニストです。そういう自分を受け入れることがどんなに晴れ晴れとした気分か、言葉では言い表せないぐらいです。」
—『バッド・フェミニスト』ロクサーヌ・ゲイ著
https://a.co/48vSbl1

書いた以外にも色々ある。私は女を見下し、女を馬鹿にした。女であることを都合よく利用し、逆に女であることを都合よく利用されても真意に気づかず、むしろ良い気になっていた。言うなればバッド・ミソジニスト。「バッド・フェミニスト」の"バッド"なんて比べ物にならないぐらい酷いものだった。比較対象にするのだって悍ましいほどだ。

過去を思い返して自らにその資格があるかと逡巡し、未来にも過ちを犯すであろう自分と向き合う苦痛を覚悟し、そして私はフェミニストを名乗りたいと思う。

能力があれば適切な評価を受けられるというわけではないこと。卓越した能力があるにも関わらず、性別を理由に真っ当な評価を得られない人がいること。そもそも問題は高い能力を持つ個人が評価されないことではない。すべての人が性別に関わらず、同じ基準で評価されていないことが問題なのだということ。そして評価に限らずあらゆる場面において、性別を理由に誰かが何かを被ったり、何かを奪われたりするのを容認できないということ。

今はそれを分かっているから。それが不当であると声を上げたいから。そしてフェミニストであると自らを表象することによって、考え続け、変わり続ける責任を自分に思い出させるために。

「私はバッド・フェミニスト。まったくフェミニストでないよりは、バッド・フェミニストでいたいのだ。」
—『バッド・フェミニスト』ロクサーヌ・ゲイ著
https://a.co/aQf4275


勇気をくれた本たち

バッド・フェミニスト

いいから、あなたの話をしなよ 女として生きていくことの26の物語 アジュマブックス 

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