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好きだけど別れるという美談。

現実逃避がてら韓国ドラマをよく観ている。
元々好きだった訳ではないのだけれど、ハングル勉強中の母から勧められたものを順番に。

最近観た「ボーイフレンド」の影響で、いまは完全にキューバ欲が増している。

キューバに行きたい。カラフルな建物や1950年代から時が止まった旧市街、古いアメ車が行き交うマレコンビーチ沿いの夕陽。道端で急に歌い踊る現地の住民。
サルサでも習おうかとさえ思う昨今。
(↑観たものからすぐ影響受けるタイプです)

このドラマは総じて、いわゆる身分違いの恋のようなものが主軸に描かれる(あまりに端的に言い過ぎな気もするけれど、ごく簡単にいうとそういう感じ)。

年齢も経済状況も育った環境も、もっと言えば婚歴も違う。
でも恋の始まりって大体そんなもんじゃないかしら?とも思ったり。
大なり小なり「違いしかない」中から、お互いの共通点をひとつひとつ明らかにしていく面白さみたいなものが恋なんじゃないかな。なんて。

経験上、置かれた環境や立場があまりに違いすぎると、正直戸惑う。というか、このまま続けていいのかなという気持ちを一度や二度は確実に抱くことになる。

でもまぁ、走り出したら途中で止めるのは至難の業。
だからどうせ止めるなら加速する前か、後悔のないよう行くとこまで突き進んでしまうかのどちらか。
頭では分かっているのにそれができない、理性的にとか打算的にとかそういうことができないのが苦しいんだけれど。
(何を偉そうに語ってるんだか)

わたしも過去に何度も、好きだけど別れなくちゃと思ったことがある。本当は好きで好きでたまらない自分の気持ちに蓋をして、別れたほうがお互いのためだと思った相手がいる。

ここまで生きてきたわたしの人生訓として、言えることがあるとすれば

離れるべきひとは、望むとも望まざるとも離れるべきときに離れることになる。
本当に一緒にいるべきひとは、たとえ一度離れることがあったとしても、いずれ何らかの形でまた一緒にいることになる。

希望的観測でもあるけれど、わたしはそう信じている。
だからこそ、ナチュラルに。風にそよぐように、ごく自然に、これからも生きていきたい。

物事は、成るべくように、成る。

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