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岬にて

ここは神奈川県の御崎にある、有名な断崖絶壁の景勝地だ。
ただし有名なのはその景色よりも自殺の名所として、だ。

駐車場近くの公園を過ぎて崖に向かうと、その途中には近隣住民が建てたと思われるプラカードが乱立していた。自殺騒ぎのたびに自宅の価値が下がるのが許せないらしい。
「死ぬなら他所よそで、やれってか」
苛立ちを覚えた僕は目を背けて足早に崖へと急いだ。

僕は別に死にたくて来た訳じゃない。自殺する奴らがどんな気持ちになるのか、ちょっと体験でもしようかって軽い気持ちでここへ来た。もしそんな奴がいたら、話しかけてやろうか。でも何て話しかければ良いんだ?

崖は強い風が吹いて、まだ冷たい風が髪を乱し、頬を打ちつけた。何とか端までたどり着くと、水面は遥か下で白い波が暴れるまま岩を打ち付けていた。
殺伐とした自然の猛威の中、不思議と恐怖は感じなかった。ただ風の強さで発した声もかき消されてしまいそうだった。

崖を離れ車に戻る途中、一人の老人に出会った。近所の爺さんだろうか。背中が曲がって、古い藍色の和服姿で杖をついていた。
「おやおや、お連れさんはどうしたのかな?」
爺さんが僕に話しかけた。
「お連れさん?誰のこと。」
「あの白いスカートで、長くて黒い髪をした娘さんだよ。」
爺さんはあたかも隣に誰かいたかのように僕に話した。

僕は思い出したように、爺さんに笑顔で返事した。
「ああ、あの娘だね。お爺さん、大丈夫。さっき一足先に飛び降りたよ。」


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