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僕の未来予想図⑥

平凡に過ぎていく日常、そんな日の終わりはあっけなく訪れた。
きっかけは先週やってきたカネさんの知り合いだった。突然現れたその人の横には人懐っこそうな笑顔のオジサンと、6歳くらいのオトコの子が並んで立っていた。オジサンは少し頭が弱いのか、頭を下げてひたすら笑顔でへえ、へえと言うだけだった。聞けば嫁さんに逃げられた挙句、家賃も払えずに部屋を追い出され、行き場所もなくなったそうだ。だからしばらくの間この親子を預かって欲しいのだという。

「子どもはアカンよ、子どもは。警察に目ぇつけられたらどうスンの?」
カネさんは知り合いの願いでも、頑として断ろうとした。でも知り合いの方も一向にひかず、延々と押し問答を繰り返していた。
「アラ、この子、カワイイじゃん。」
タイ人の恋人だというランさんが、そう言って子どもを抱っこした。
「いいじゃん、少しくらい。アタシらも面倒みるヨ。」
そう言ってカネさんを説得しようとしたが、今回ばかりはカネさんは譲らなかった。
「アカン、子どもは。どうしても、アカンのよ。分かってな。」
カネさんは困ったような顔をして、何度もそう繰り返した。
結局子どもの方は知り合いの方が引き取って家に連れ帰ったようだ。工場こうばには笑顔のオジサンだけが残された、はずだった。

数日して、工場こうばのプレハブの一室から子どもの鳴き声がするとインドネシア人のヒダさんが言い出した。手の空いた数名が探すと、そこにはあの子どもがひとりで眠っていた。
「どういうコト?ダメってあれ程言っただろ!」
めずらしくカネさんが怒りだすと、オジサンはいつにも増して笑顔になった。
「ダッテ、子ども、かわいそうだから…ヨルに連れてきた。カクシとけば分からないって言われたから…」
カネさんは怒ったように部屋を飛び出すと、先日の知り合いに電話した。急いで引き取りに来い、いいから来い!めずらしく強い口調だった。

「いいかい、誰も意地悪しとる訳じゃナイんよ。ここでは子どもは面倒見きれんのよ。ボクも守りきれんから。」
カネさんはオジサンに諭すように話したが、オジサンの方は相変わらず笑顔でへえへえ言うだけだった。
カネさんはため息をついて、子どもの頭を撫でて言った。
「ゴメンな、ココでは子どもは面倒見れんのよ。ゴメンな、ホント。」
カネさんが申し訳なさそうに子どもに話しかけると、表の扉を激しく叩く音がした。

「すいません、警察の者です。開けて頂けませんかぁ?」
ボクらは全員、顔を見合わせた。カネさんが声を上げた。
「とりあえず、隠れといて。何とかするから。」
ヤンさんもアル君も、ヒダさんも、慌てて工場こうばの隅にある事務室の方へと一目散に駆けだした。後には親子と、カネさんと、僕だけが取り残された。
「カネさん、僕が応対しようか。僕は何もしてないし、一応日本人、だから。」
僕はカネさんの前で日本人、と言うのが何だか申し訳ないように思えた。
「ええヨ、修クン、キミも隠れといで。面倒には関わらん方がエエ。」
カネさんはいつものように寂しく笑うと、僕の背中を押して向こうに行くように促した。

「こんにちはです。どうしましたかのう?」
カネさんの表情はいつになく強張こわばっていた。と、制服警官の後ろから、屈強な体つきの私服警官が前へと出てきた。二、三度カネさんを睨むようにみて、いきなり右の拳でカネさんの左頬を殴りつけると、カネさんの脇に入り込み背中から地面に叩きつけた。鈍い音が辺りに響いた。
「警察舐める様なマネすんじゃねェ。いいか、子どもの誘拐は重罪だ。奥さんから被害届は出てるんだ。」
警官は同じようにオジサンを睨みつけると、吐き捨てるように言った。
「全く、こんなトコに逃げ込みやがって。子どもは返してもらうぞ。お前も一緒に来い。」
オジサンは怯えたような表情で、引きつった笑顔のままへえへえと繰り返した。
「後は任せたぞ。良い感じにしとけ。」
警官は後ろに控えた屈強な成りの数名の私服警官に指示を出すと、二人を連れて工場こうばを出て行った。

警官たちは、二人がかりでカネさんを抱き起すと、何も言わずにカネさんの身体に何発も拳を打ち込んでいった。鈍い音とともに、カネさんの身体が左右に揺れた。
「何してるんだ、アンタら!」
僕は頭の中が白くなっていくのが分かった。この世界が壊される。カネさんが壊される。過去の辛い記憶が脳裏を占めていった。あらがえない力にひれ伏すように過ごした幼い記憶、口に鼻に容赦なく押し込まれる水の冷たい感覚、刃物を吸うように取り込んだ人の腹の柔らかい感覚、全てが僕の中で溢れだして、僕を支配しようとした。
「止めろ、ヤメロ!ーーー僕はもう子供じゃないんだ!」
僕はカネさんの前に立った警官にとびかかると、無我夢中で何度も警官の顔を殴りつけた。拳に伝わる鈍い痛みが、僕を現実世界に戻そうとしたが、僕は容赦しなかった。
数人の男の腕が僕を抱えるようにして押さえつけた。気づけば僕はカネさんと並んで警官達に何度も殴られていた。顔に腹に、怒りと憎しみすら感じるような表情の男達が、僕らの顔と腹を何度も歪ませていった。記憶が薄れていく…僕は何とかカネさんの方へと目をやった。カネさんは目だけがしっかりと目の前の男を睨みつけていた。今まで見たことのない、カネさんの怒りに満ちた目だった。



(イラスト ふうちゃんさん)


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