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父親の子育ての歴史

「令和の父親の子育てとは?」

時代によって人々の考えは変化していく。子育ても時代の流れに沿って形を変化させてきた。特に父親の子育てに関してはここ最近で大きく変化している。
自分の親世代と現代の父親の姿があまりにも異なることを感じながらも、「じゃあ今父親としてどうあればいいの?」と不安を感じる方も少なくないのではないだろうか。

今回は父親の子育ての歴史から、現代の父親の子育てのヒントを導き出していく。

戦前

この頃の父親は、家長として家庭内で大きな権限を持っていた。
結婚を含めた家族の行為についての決定権を持ち、家庭での絶対的な存在であり、大黒柱である。
仕事においては、戦前は家業が中心であり、家族で事業に従事していた。父親は家庭においても仕事においても家族を指導・管理する立場に位置し、母親が子育てを主に行っていた。
この頃の父親はまさに「厳しい父親」でなければならず、私の親族からもこの時代の父親は相当に厳しかったと聞いている。
逆にそうでなければ生きていけない時代だったのかもしれない。

高度経済成長期

この頃になると、雇用労働制が普及し、就業男性と専業主婦の家庭が増えた。この頃の父親のメインミッションは「とにかく外で稼ぐこと」。そのためには母親が家庭を守らなければいけない。そのおかげで国は大きく発展したが、父親は子育てから引き離されてしまった。

1980〜1990年代

第二次ベビーブームやバブル経済期を迎えた。「24時間働けますか?」のキャッチコピーが流行るほど、父親は長時間労働に駆り立てられ、子育てとは大きくかけ離れてしまった。
一方でバブル崩壊後、父親の収入が不安定になった事もあり、母親が外で働くケースが増えた。1986年の男女雇用機会均等法、1992年の育児休業法ができたこともあり、女性の社会進出と社会的地位が以前よりも向上し、就業男性とパート主婦という組合わせが増えた。

私の親世代がまさにこの時期に子育てを行っており、子ども目線で見ても、いつも忙しく余裕がないことが伝わってきた。
父親は仕事のプレッシャーに耐え家庭でもイライラ、母親は家事育児に仕事とスーパーマルチタスクを毎日こなさなければならず、私と同じ世代の方(1980年代生まれ)は家庭のこのピリピリ感を味わったことがあるのではないだろうか。
この時期の母親は本当に苦しい時期を過ごした方が多いと思う。

2000年代前半

少子化問題が深刻化した背景もあり、父親の子育て参加が強く求められるようになった。
旧厚生省からは「育児をしない男を、父とは呼ばない。」というポスターが提示され、男性が育児ができない、育児をしないといったネガティヴなイメージが強く印象づいた。
父親の子育て参加の必要性を訴えるには効果はあったかもしれないが、実際は父親は仕事に専念する状況が続き、母親の負担は増え続けた。

2000年代後半から2010年代

父親の子育てに対するネガティブなイメージは、「イクメン」という言葉の登場によってポジティブなものに生まれ変わろうとしていた。
「イクメン」は2010年の新語・流行語大賞にノミネートされ、子育てをする男性を見る世間の目が少しずつ変わってきた。
しかし、「イクメン」という言葉だけが一人歩きし、子育てもできるし仕事もできる、妻へのフォローも怠らないし、しっかり稼げる、いわゆる完璧な父親像がもてはやされてしまった。

父親の中には、仕事に縛り付けられ子育てをしたくてもできない、仕事で成果を出せないので家庭での居心地も悪い、そんな自分は父親として失格だと感じるなど父親としての自信のなさを感じる父親も少なくない。
一方で母親からは、「イクメン」だけがもてはやされ、今まで当たり前に子育てをしてきた母親にスポットが当たらないことに違和感を感じ「イクメン嫌い」の流れも生まれた。
現実と乖離した父親像の流行と母親の不満が蓄積した「イクメン」ブーム。しかしこの流れは父親の子育てのターニングポイントでもあった。

現代

父親も当たり前に子育てをする時代になり、父親の在り方は大きく変わってきた。
全国の父親・プレパパに対する調査では、69.9%が育休取得したいと答えており、明らかに父親の子育てに対する意識が変化してきている。(※1)
一方では、子育て支援がまだまだ母親メインのものが多く、父親が「支援される」対象であるという視点が見過ごされがちだ。
子育てを行うすべての人が支援の対象であるが、まだまだ父親は子育ての主体でなく母親のサポート役としての見方が強いことは否めない。
私も子どもを連れて公園に来ているだけで、「今日はお休みですか?」と声をかけられることがある。母親が同じ状況であればこのような言葉はかけられることはないだろう。父親は仕事、母親は子育てというイメージが強く根付いているのだろう。父親の子育て参加が増えたとはいえ、文化としての父親の子育てがまだ未成熟であるように感じる。

これから


求められる父親像は時代によって異なる。高度経済成長期から1990年代は稼げる父親が良しとされ、それ以後は子育てもできてしっかり稼げる完璧な父親を求められた。
これからは多様性の時代。私はそれぞれの目指す父親像があっていいと考えている。ただ、「子育てに正解はない」ということを頭の片隅に刻んでおいてほしい。
子育てに正解はないゆえに100点満点の父親など存在しない。例え社会や環境が完璧を求めてきたとしても、できないものはできない。
自分と家族がちょうどいい塩梅で過ごすことが大切で、周りの評価は二の次である。
雑誌に載るような「デキる」父親になれるといいのかもしれないが、実現できるのは非常に困難である。そもそもメディアが「デキる」父親像を前面に出すのは、男性の「強くなければならない」という潜在意識に巧妙にアプローチし、注目を集めるための手段である。

父親像は時代によって変化しているが、現代は強い父親よりも、柔軟な父親であることが大事だ。自分が子育てをするという、子育てに主体的に関わる意識はもちろん必要だが、「自分だけ」で子育てをするようになってはいけない。子育てに悩んだら周りの人にヘルプを出してもいいし、たまには弱音を吐いてもいい。子育てに正解はないのだから、迷いながらも少しずつ進めさえすればそれでOKである。

父親の子育ては今まさに過渡期である。自分なりの子育てを楽しみ、様々な形の父親像が生まれるような時代になって欲しい。


それでは、

さよならあんころもち、またきなこ!


こそだてパパのわ『ちくわ』 坪田


(参考文献) 
・平野翔大,『ポストイクメンの男性育児 妊娠初期から始まる育業のススメ』,中公新書ラクレ,2023

※1 積水ハウス,「男性育休白書2023 47都道府県の20代~50代のパパ・ママ9,400人に聞く育休の実態を徹底調査!」
https://www.sekisuihouse.co.jp/ikukyu/research/ ,2024/6/1


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