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世界は「善意」で回っている?

多くの人はタイトルのような感覚を持って日々生活をしていると思います。
警戒する場合などは知らない他人や風体を見て判断するのが一般的です。

テレビに出るような偉い人が嘘をつくわけがない、国が嘘をつくわけがない、医者が人殺しをするなんて漫画の世界だけ、役所が嘘を教えるわけがない。

そんな感覚で生きているのだろうと思います。

実際、「彼ら」のような偉い人たちは「善意」で活動しているのでしょう。

しかし、多くの人はその善意は「誰に向けられた善意なのか」ということには考えが及びません。自分に対する善意と錯覚しがちです。

例えば、マスメディアに登場する医師は「マスク着用」「ワクチン接種」を推奨、煽動していますが、これらの医師の善意は誰に向いているのかということを考えるべきであると思うのです。

2021年の超過死亡数は67000人に登り、今年の超過死亡数は8月までで概ね7万人以上が亡くなっていることや、ワクチン接種に比例して超過死亡が増加しているにもかかわらず、今では0歳から4歳児の型落ちのコロナワクチン接種も推奨し続けています。

それを知っているはずの医師たちがなぜマスメディアで発言できないのか、むしろワクチン接種を煽り続けるのか、多くの人は理解ができないと思います。よほどのバカでなければワクチンとの関連を疑うはずです。

仮にワクチン接種を煽る医師たちが「善意による行動」だったとして具体的にどのような気持ちでその行動をしているのか考えてみてください。

彼らの善意という考え方はおそらく以下のものです。

「お世話になっているテレビ局の放送作家が示した台本に沿って仕事をしなければ関係者(スポンサー)に迷惑がかかる」

「生きていても辛い人生ならいっそやめてしまってはどうだろうか(優生思想)」

「医師会や所属大学に迷惑がかからないようにしないと」

「多くの人に食糧や水、限りある資源を有効に活用し、世界の環境を良くするには底辺からリタイアしてもらわないと」(資本主義における最大多数の最大幸福)

「家族や従業員(看護師等)の生活を守らなければ」

と恐らく、こんなところでしょう。

では厚生労働省の役人はどのような善意を働いているのでしょうか。

「上の方針に従わなければ出世できないし、退職時の数億円の不労所得が欲しい」(自分の人生を最善にしたいという感情)

「今後長い付き合いになるであろう製薬会社に不利益を被らせないようにしないと」

「職場の和を乱さないために空気を読んで仕事しなくては」

「家族のために我慢しなくては」

「国のために最善を尽くさなければ」

想像できるところではこんなところです。

これらの「善意」が相まって、現在の結果が生まれています。

要は自分の関わっている人に迷惑をかけないことが彼らの正義であり、善意でもあるのです。
しかし、それを凌駕する良心がその人に存在する場合や危機管理能力が高い場合に、次のようなことが起こります。

「告発、暴露、忖度なし」

犯罪追求をかわすための可能性はありますが、この大量離職は彼らが、自らの犯罪を「自覚しているから」に他ならないでしょう。

史上最大の薬害事件が現在進行系で行われている現実に嫌気がさしたのかもしれません。

しかし、厚生労働省が姿勢を変えないところを見ると、裁判所や、マスメディアも、野党も、団体も抑えられているわけですから、薬害事件が噴出しても責任追及はされないと考えているのでしょう。

実際、公務員の個人責任は問われないのがこの国のルールですから、仮に賠償が確定しても、その原資は税金が充当され、当の役人は身分保障され、1年もすれば国民の記憶も薄れ、国民の生活を追い詰めていく状況は変わらないはずです。

では、国会議員の善意はなんなのか。

「支援者のために予算を取ってこなくては」

「家族のために当選し続けなければ」

「党の方針に逆らえば家族にも支援者にも迷惑がかかる」

「自分の人生をより良いものにしなくては」

すべて個人的なものに終始していますが、性善説で考えればこんなところです。

コロナワクチンの被害者が声を上げている状況ですが、マイナンバーカード普及や紐付け、顔認証、デジタル通貨、信用スコアなどのデジタルレーニン主義政策が浸透し、改憲が実行されれば、政府批判を行う言論はおろか政府の見解以外の情報はすべて検閲され、犯罪化される可能性がありますから、声を上げることすらできなくなります。

彼らの「善意」によって。

日本政府自体、外資企業をはじめとする大企業や米国に押さえられているために、構造上、一般国民に対する善意にも正義にも力が与えられないようになっているのです。

正義は人間の善意を源泉に形成されます。
しかし、誰かの正義は誰かの悪、正義と正義の衝突が闘争、戦争になるために、正義と悪は表裏一体の概念です。

自分の善意が他者から悪意と取られることはよくあることです。
個人レベルではそれを理解できても、社会レベルではそれが組織というフィルターと権威に対する盲目性から理解できなくなります。

私の善意も多くの人から悪意と思われているのでしょう。

善意の集合体が悪意とするなら、この世界は悪意と悲劇で構成されているのかもしれません。

正義は議論の種になるが力は非常にはっきりしている。そのため、人は正義に力を与えることができなかった」

ーパスカル パンセから引用


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