マラウイでの授業デビューはまさかの「マラウイの地理」
マラウイの任地に赴任してすぐの頃、配属先(小学校教員養成大学)での活動はほとんどなかったため、大学の敷地内にあった附属小学校に見学に行くことにした。(note『アフリカの最貧国マラウイで経験した、4か月の休校中の過ごし方。』)
配属先では、算数教育と体育教育の講義を担当することになっていた。マラウイの小学校現場を見ておくことは、後々講義が始まった時に、役に立つはずだ。配属先の上司に相談すると、割とすんなり附属小学校への見学の許可をもらうことができた。
附属小学校は、学年によっても差はあるが、1クラス100~200人程度のクラスが8学年各2クラスずつ。合計約2500人~3000人の子どもたちが学ぶ。マラウイでは、中規模校だ。
ドキドキしながら附属小学校の門をくぐった。まずは、校長先生に挨拶をしなければと、職員室の手前にある校長室に入った。
校長先生は、雑然とした部屋に、どっしりと座っていた。マラウイ流のゆったりした、それでいてどこか緊張感のある初対面同士の挨拶の場面。「あいさつは相手より先に。はきはきと元気よく。」という日本の常識は通用しない。「目上の人が話し始めるまで、静かに待つ。受け答えは、ぼそぼそと。」それが礼儀だ。
私「初めまして。日本からJICAのボランティアで来て、リロングウェ教員養成大学で大学講師をする予定のタナカです。」
校長「ボランティア?日本では何していたの?大学の先生?」
私「いや、大学ではなく小学校の教員を9年間やっていました」
校長「へえ、じゃあここに研修の一環で来たの?」
私「いや、次の学期から算数と体育の指導法の講義を担当するんです。今学校が始まらないので、小学校現場を見て勉強させてもらおうと思って」
校長「ふーん、よく分からないけど、モストウェルカム!じゃあ、どの学年がいい?」
※Most welcome:マラウイでよく使われる「ようこそ」の最上級、「大歓迎」の意味。
附属小学校の校長先生とそんなやりとりを交わし、見学をスタートすることができた。
◇ ◇ ◇
見学を初めて、数回目のこと。毎回、どの学年を見たいのか聞かれるので、その日は、ターゲットの学年を絞って校長室へ入った。
私「今日は、5年生か6年生を見学させてもらえますか?」
校長「今日ちょうど6年生の先生足りてないから、6年生に行ってみて」
私「はい、わかりました」
「足りてないから」という言葉に引っかかったが、とにかくなりふり構わず飛び込んでみないと、前に進まない。
一人の先生に案内されるがままに6年生の教室に行くと、女性の先生が社会科の授業をしていた。先生が子どもたちに課題を出し終わったタイミングを見計らって、挨拶を交わすと、
「ちょっとこれから出かける用事があるの。あなた、私の代わりに社会科の授業やっておいてくれない?」
と明るく言い残し、「あとはよろしく!」と、教科書の範囲だけ示して出て行ってしまった。
出かけ際に、先生は子どもたちに何か伝えていたが、チェワ語だったので分からなかった。きっと「今日は特別に、日本人の先生が教えてくれるから、しっかり勉強してね」というようなことだろう。
子どもたちも事態をうまくのみこめずに、ざわざわしている。異様な空気が流れていた。もし、私が怖気づいて何もしなければ、教室に残された200人ほどの子どもたちは、何も学ばない無意味な時間を過ごすことになる。
自分の英語が子どもたちに伝わるかどうかもよく分からないが、「やるしかない」と意を決した。どんなことを話すか、即興で授業の組み立てをしなければと思い、教科書に目を落とした。そこに載っていたのは、「マラウイの地理」だった。
まさか。マラウイに来たばかりの、英語もままならない日本人に、「マラウイの地理」は酷すぎないか。せめて事前準備の時間を与えてくれていたら良かったのに、この状況では準備などできるはずもない。スマホで情報を探ろうにも、ここはマラウイ。電波状況が悪く、LINEのメッセージでさえ、時差ありでまとめて届くという通信状況だ。情報を集めることもできやしない。小学校での見学数回目に、マラウイの地理を英語で教えるという無茶苦茶さ。日本なまりの英語を話す私が、マラウイなまりの英語を話す6年生を相手にする。
マラウイの地形とその特徴について、とにかくまず教科書に書いてある英語を読み取った。全員が教科書を持っているわけではないので、取りあえず教科書をゆっくり大きな声で、読んできかせた。
それからクイズ。
「マラウイの山と言えば!?」
「マラウイには大きな湖はいくつある?」
クイズの問題を出している私自身も、もちろん答えなんか知らない。クイズを出しながら、急いで教科書で答えを確認した。答えを知らないままクイズを出すなんて、貴重な経験だ。
授業の最後には、大事そうなところを教科書から探して板書し、子どもに写させた。それでも時間が余ったから、少しだけおまけで日本のことを話した。
「日本には富士山という高い山があって、マラウイのムランジェ山より高くて、一年中雪があるんだよ。アフリカにはタンザニアにキリマンジャロ山があるよね。雪が一年中あるという点では、キリマンジャロと同じだね。」
マラウイの首都では雪は降らない。「snow」がどんなものなのかも知らず、「日本」と言う国名を初めて聞いた子もいただろう。多くの子にとっては、訳が分からない話だっただろうが、放置されるよりはましだっただろう、と割り切った。
とにかく、200人の教室でマラウイの地理を教えた。たった30分そこらの授業だったはずだが、心身ともに疲れ切って、授業後、その場から逃げるように職員室へ避難したことを覚えている。
これが、マラウイでの私の授業デビュー戦だ。
私のマラウイでの任務は教員養成大学での講義のはずだったが、その前に思いがけず、小学校現場を体験できたのは、ある意味ラッキーだった。
◇ ◇ ◇
しばらくたった頃、マラウイの小学校教育隊員で集まる機会があり、お互いの任地で体験した面白話を交換し合った。なんと、私と似たような経験をした隊員がいたことが分かった。
農村部の小学校に配属されていたその隊員は、配属先の校長からある日、いきなり「聖書知識」(マラウイでは国民の多くがキリスト教信者)の教科書を渡され、教えてくるように命じられたのだという。
その隊員も「やるしかない」と思い、教室に行き、教科書を英語でひたすら読んだという。
急すぎる出来事に、唖然としている小学生を前にひるまず、最後に一言「アーメン。」と言って授業を終えたのだとか。
みんな、それぞれの任地で、日本では絶対にできない経験を積んでいたのだ。
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