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「書く」行為が支えてくれた

無事に退院となり、自宅に帰ってきた。嬉しいけれど大丈夫なのか心配で、タクシーを待っているあいだも、乗っているあいだもお腹が張ってきてひやひやする。無事着いて横になったらおさまってきた。家の中はダンボールだらけでぐちゃぐちゃだけれど、病院みたいにきれいじゃないけれど、やっぱり家が心地よい。

疲れが溜まっていたのか、ぐっすり昼寝をする。安心したのか良く眠れた。やっぱり家が一番だなあ。

入院中、結局仕事をしているときが一番安定していたのだけれど、その中でも、「何かを書く」という作業のときが一番集中して、気持ちも安定していた。書かなきゃ、とか、期日までに仕上げなきゃ、とか、良い原稿を書かなきゃ、とか、そういった感情は、書いているその瞬間はどこかへ消え失せ、目の前の一文字一文字、一字一句だけを考える。

この営みは、思ったより私を支えてくれていた。

書くことは好きだけれど、読むことに比べて、息をするようにしていることではない。書くのと読むのを並べたら、読む方が好き──そう思っていたけれど、入院中は思ったより読書できなくて、というのも、読んでいるあいだにお腹の張りとか仕事のこととか今後の生活のこととかが頭をかすめはじめ、あんまり集中できなかったのだ。

書くのは、読むより能動的だから、必然的に目の前に集中せざるをえなくて、それがよかったのかもしれない。

書く仕事がしたいな、と思って、方向性を探ってきて、プライベートでも仕事でもゆるり書いてきて2、3年くらい経つけれど、そのあいだに、ペンと紙(もとい、PCスクリーンとキーボード)は、思っていたより、私の中で存在が大きくなっていたみたいだ。

子どもが生まれたら、書く仕事も、プライベートのエッセイや短編も、思ったように書く時間が取れなくなると思う。それでも、たぶん「書く」というのは自分の支えになるだろうから、子どもが3歳になるまでは、最低限、これら3つのことをやりたいな、と心に決めた。

・毎日じゃなくても、短くても、綺麗じゃなくてもいいから、noteに日々のエッセイを書き続ける

・エッセイまたは短編を、紙というかたちにしてみる

・運営しているmono.coto Japanで、小説とエッセイを毎月書く

心(メンタル面)はあんまり器用じゃないので、目の前の家事育児、仕事に私はいっぱいいっぱいになっちゃうと思う。それでも、ふとした隙間で、こうして書くこと、自分ひとりで言葉に向き合う時間は、きっと支えになってくれると思うから。

いい文章書きたいとか、いろんな人に読んでもらいたいとか、もっと書く仕事増やしたいとか。いろいろ欲はあるけれど、それらを抜きにしても、書くことを、一生続けていきたいなあ。

そんなことを思った入院生活だった。

それでは、また。

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