さるすべりという"しるし"
written by: mao nakazawa
さるすべりの花が咲いたら、夏が来たという"しるし"。フワフワとした可愛らしい花は天に向かって咲いており、花と花の隙間から日差しの強い青空を仰ぎ見ていると、心地よいエネルギーを全身に感じる。
高い位置で咲きながらも、私にいつも「こんにちは」と風の力を借りてお辞儀をする。そんなさるすべりの姿に親近感を覚え、いつしか通り道でなくても、わざわざ花を拝みに川沿いへと向かっている自分がいた。
さるすべり、という名前を知るよりもずっと前から、私はこの花をよく知っている。
それは4歳か5歳のころ。奥戸橋を渡って、そのまま葛飾の中川土手沿いを祖母と歩いて帰った記憶がある。人間としての本質的な部分が甘ったれの私は、保育園に見送りに来た祖母が帰ってしまうと本当に寂しかった。
だから、無事一日が終わり、また家族が迎えに来てくれて一緒に帰った思い出というのは、なにか特別めいたものとして大切に閉まってある。そんな思い出と一緒に、さるすべりの花は押し花みたいに宝箱に入っているのだ。
この中川土手沿いは、奥戸橋と平和橋を渡って一周すると約3㎞で、中学時代はこれを土手マラ(土手マラソンの略である。)と言って授業中に何度も走った。
私はせっかちな性格だったから、いつもさっさと走りきっていた。嫌なことなんかすぐに終わらせてやる、というのが人生のモットーなのだ。ただ、嫌なことの中にも喜びというのがあって、それは中川の流れを眺めたり、洗濯物を干しているマンションの奥さんを眺めたり、そしてさるすべりなどの花を「あ、綺麗」と見つけることだったりする。
つまらなくて長い土手マラ3㎞は、そんな喜びを含んでみれば、今となっては程よい距離だったと思える。もう、走る気なんてありませんけどね。
大学時代、写真を始めたばかりの頃、思い悩んで帰って来た日があった。そんな日でも我が故郷、葛飾区立石は飲み歩く人がたくさんいて、チャラチャラした若者が男女仲良く居酒屋の前でタムロしている。
嫌いじゃない故郷なのに、そういう場面を見るとなんかちょっと、ここは違う、と思っていた。
アーケードを抜けて信号を待っていると、街灯に照らされたさるすべりがあった。この日、ちょうど満開。街道に沿って綺麗に植林されたさるすべりの、白い花の美しさ。買ってもらった新しいカメラで、夜のさるすべりを何枚も撮った。
シャッタースピードをウンと遅くしたりして、光や風で揺れるさるすべりを、デジカメの背面モニターで何度も見て楽しんだ。そのとき初めて、この花がさるすべりという名前だと知った。
木に名札がかかってたからね。
何かの運命で同じ土地に生きているもの同士、ヨソの人には入り込めない関係性というものがきっとあって、例えば私とさるすべりなんかも、きちんと通じ合っている。
そう思わずにはいられない。
この街のスピリットそのものが、血が巡るように私の身体の中に流れている。言葉ですべては言い表せないけれど、私はそう信じている。
さるすべりの花が咲いたら、夏が来たという"しるし"。それは、私がこの小さな街で生きているという、"あかし"でもある。
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葛飾区中川
映画『百日紅~MissHOKUSAI~』
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mao nakazawa
カメラマン
1988年東京都出身・在住。2018年6月よりフリーカメラマンとして独立。ライフワークは東京の記録としての写真。フィルム写真とともにブログ「record of tokyo」を日々更新中。
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