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本を読むことについて.2

*友人の万葉ちゃん(@tgtg95)と二人で、人文学について−−小説や本を読むこと、哲学や映画やアートなど、テーマを決めて手紙交換したものを公開していくシリーズです。

マガジンについてはこちら:はじめに−−人文学っておもしろい?

その1はこちら:本を読むことについて.1


万葉ちゃんへ

お手紙ありがとう。誰かに手紙をもらえるのってすごく嬉しいなあと、しみじみ思っているところです。

本を読むことについて、「生き延びるために読んでいる」というの、すごくよくわかる。私も本、というか活字を読むのは、息をするのと同じような感覚です。そのなかでも特別なのが、小説です。

毎日毎日生きていると、自然と、意識も身体も「今、ここ」に集約されていく。もちろんそのこと自体は全然悪いことではなく、むしろ生きるってそういうことだとも思うんだけれど、でもなんだか隙間がなくなって、酸素うすいところで、息しているみたいになる。

そんなときに小説を読むと、頭と身体が「いつか、今ここでないどこか」に飛んでいって、すーっとした気持ちになる。呼吸がすーっと穏やかになるというか。

それは、万葉ちゃんの言っていた「別の私でもありえた」ということに、小説を読むと気づけるからかもしれない。日々を生活していく、生きていくということは、一つを撰び取る、逆に言えば他の可能性を捨てていくってことかもしれないから。

そう考えると、小説を読むというのは、がちがちに固まった「私」をもう一度たくさんの「可能性」のなかに放り込む作業(?)なのかも。

小さいころは、それこそ一日中小説を読んでその世界にとっぷり浸かっていたけれど、大人になってからは小説を読む体力が落ちてきた...というのが現状です。その代わり、エッセイや哲学エッセイをおもしろく読むようになりました。

食エッセイや暮らしの日記を読んで「さ、ごはんつくって掃除するか」と腰を上げたり、「アートをみるとはどういうことなのか」という、よくわからない哲学書を読んで、そのわからなさにとっぷり身体が浸かってしまうのが、なんだか快感だったりする。

本を全然読めない日もたくさんあるんだけれど、それでも寝る前に、2-3ページだけでも本をぱらぱらするだけで、なんだか自分が何かに、誰か(本の神様とか?笑)に守られている気分になります。大丈夫だよ、って。あと、紙とか印刷のにおいも好き。

書き始めたら止まらなくなりそうなので、このへんで。

それでは、また。

沙妃

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