[仮面浪人]入学式の話
現役で全落ちして、併願先の大学に行くことを決めて。
卒業してからの春休みは、受験を終えた友達とあちこちに行って。
正直、全落ちが判明して併願先の大学に行くと決めてからは、自分でも驚くほどすっきりしていました。
あれだけやって無理だったんだから、私には無理だったんだ、と。
諦めるとか諦めないとかの話ではなかったように思います。
自分の中ではもう精一杯やったという自負があり(これに関してはまた言及することになると思いますが)、もういい、というくらいの気持ちでした。
落ちた本人である私よりも、母の方が引きずっていたように思います。
だから、高校を卒業してからの春休みは、もちろん少し残念だったなぁと思うことはあっても、受験からの解放感も手伝ってまあまあ楽しく過ごせていました。
気づいたのは、入学式の日。
当時住んでいた実家から大学までは電車とバスでおよそ2時間。
早朝、スーツに身を包んだ私は、満員電車の中でただちゃんと時間に間に合うかどうかだけを心配していました。
京都駅で電車を降りて、バスに乗って。大学の前に着いて。
バスを降りると、校門のところに「立命館大学入学式」と書かれた白い大きな看板が目に入って。そして看板の前で記念に写真を撮ろうと並ぶ親子が、かなり長い列をなしていました。
みんな笑ってた。
みんな、幸せそうだった。
その時初めて気付きました。
自分が全く嬉しくないこと、笑顔になれる気がしないこと、ここにいたくないこと、ここに来たくなかったこと、どうしてここにいるのか、なぜあの大学ではないのか。
周りの人が浮かべている春みたいな笑顔、幸せそうな雰囲気。
同じになれない自分。
笑顔の入学生、それを温かく見つめる親。贈られるおめでとうの声。
胸の奥にドロドロした黒いものが流れ込んでくるようなあの感覚を覚えたのは、思い返してみればこの日が最初だったのかもしれません。
なぜ、どうして。
誘導されるがままに会場の体育館まで進んで、パンフレットのようなものを渡されて、気づいたら席に座ってて、入学式が始まりました。
「みなさん、立命館大学にようこそ。ご入学おめでとうございます」
と言われて、何がめでたいんだ、と思った私。
なんで私はここにいるんだろう。
そんなことばかりが頭を駆け巡って、悔しくて。校門前で見たたくさんの笑顔が頭にこびりついて離れなくて。
もしあの大学に受かってたら、私もあんな風に笑ってたのかなとか考えて。
入学式の間ずっと涙が止まりませんでした。
でも、もう入学してしまった。ここに行くと決めた。
もう戻って浪人するなんてことはできない。入学金も授業料も払ってもらって、それをなしにすることなんてできない。
でも、ここに来るために、こんな思いをするために、私は勉強したわけじゃない、あんなに嫌な思いしたんじゃないとか考えて。
なぜこの大学じゃだめなのか。それは自分にもよく分かりませんでした。ただ、行きたかったのはここじゃないという気持ちだけが私のなかを支配していて。
受験を終えてこの大学に行くと決めたときは、これでいいと思っていたはずなのに。
必死に勉強した一年は、結果がどうであれかけがえのない経験だったと思っていたのに。
自分の中にはもう後悔なんてないと思っていたのに。
でも、違ったとその時初めて気づきました。
大学に足をふみいれて、ようやく。
未練ばかりが、私のなかにあふれていました。
なぜなのか、と。
また黒いものが流れ込んでくる。あふれる。
でも、もう入学してしまった。
もうどうしようもない。
その繰り返しです。なぜ、でも、どうして、でも、もう戻れない。
入学式が終わると、外にはサークルや部活の勧誘をしているたくさんの在校生や式を終えた入学生、見守る親がいて。立命館のロゴを模したフォトスポットや看板、お花がたくさんあって。あたりに散らばる祝福の文字と、声と、笑顔と。
自分が異物のように感じられたあの感覚。
一刻も早くここを出たくて、ちょうど来たバスに乗り込んでそのまま帰りました。電車に乗って、2人がけのボックスシートの窓側の席で、隣に座っていた優しそうなおばあちゃんに気づかれないように、声を殺してめっちゃ泣きました。ほんとは入学式の後、駅のショッピングビルで文房具とかそろえようと思っていたのに。新生活にワクワクしてると思ってた。
その時見ていた車窓からの風景は今でも覚えていて、帰省して京都に遊びに行って電車に乗ると、あぁそういえば泣いて帰ったたなぁとか思い出したりします。
…それでもこの時点ではまだ、浪人するという選択肢は私の中でっまったく「ない」ものでした。金銭面のこともありますが、それ以上に、またもう1年勉強することが自分の中ではありえないことだったからです。
コロナ2年目ということで基本リモート授業で、大学に行くのは週2,3回くらいでした。なんとなくで第二外国語をイタリア語にしてみたり、哲学の授業を受けて意味わからん、と思ったりして。
「立命館」の文字を見るたびに、なんで、という気持ちはかすめましたが、まあそれくらいでした。もうしょうがない、どうしようもない、ここに自分はいるしかない、勉強が足りなくて落ちたのは自分なんだから。
今考えてみれば、自分がいかに「大学名」にこだわっていたかが分かります。ただ偏差値が高いから早稲田に生きたかったわけでは決してありませんが、学歴に固執していたのは明白でした。
大学行った日は、毎回泣いて帰ってました。それでも浪人はなかった。
学食には怖くて行けませんでした。かなり多くの同じ高校の人が併願先や本命で選ぶ大学だったので、私が高校の誰かに大学内で認識されるのが怖かった。あとは、笑い声や笑顔が怖かったんだろうと思います。
ですが、ある日、まるでボタンがカチッと押されたみたいに、浪人という選択肢が突然私の中にくっきりと出現することになります。
その話はまた後日。今日は入学式の話でした。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
また。
大屋千風
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