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「欲しい」を満たして生きると決めた!

彼、アスペルガー。
私、うつ病。


今日は近くに住む親族の一家に夕飯に誘われて、ちょっとご飯を食べに行って来た。

家族構成:母親、父親、息子。

父親と息子は、アスペルガー判定がどう出るかはちょっと分からないけれど、とにかく寡黙で言葉が出てこない職人タイプ。

もしかして結婚して子供を持つことが当たり前の世の中だったら、私も今の彼と結婚してこんな家庭を築いていたのだろうか…とふと思ってしまったので、今日はそれについて書いてみたい。


この一家との夕食は、はっきり言って苦痛だ。

おばさんが喋りまくるし、その殆どが嫌味や愚痴、それに攻撃的な内容だったりするからだ。

一般的に見たらとても恵まれて見えるスペックがあるのに、おばさんの表情はちっとも幸せそうじゃない。

おじさんと息子は黙々と食事を続けたり、席を立ったり、仕方なくおばさんを宥めようとしたりする。

見ていて全く気持ちのいいものではないのだけれど、でも私には、そのおばさんの攻撃的な言葉が全て「私に優しくして!」に聞こえしまうんだ。


分かるよ。

本当は話を聞いて欲しいだけなんだよね。

ご飯だって、「おいしいねー」「いつも作ってくれてありがとう」っていう言葉が欲しいだけだよね。

感情のコミュニケーションがしたいよね。

様子を伺ってくれたり、ハグしたり寄り添ったり、そんなエネルギーレベルの交換が出来たら嬉しいんだよね。

うん、分かるよ。

本当は今まで、きっとめっちゃくちゃ傷ついてきたよね。

泣きたいこともいっぱいあったよね。

それでも一人で頑張ってきたおばさんが欲しいものは、きっと夫と息子の「共感」に他ならない。

そんな些細(と思うよう)な願いが全く叶わないのだから、今まで頑張ってきた分余計に辛いよね。


・・・それがすごく分かるから、つい断れずに会いに行ってしまってた。

だけどおばさんの攻撃力はちょっと強すぎる_(┐「ε:)_

私が示す「大変でしたね」という労りの言葉も、「それは辛いですね」という共感の言葉も、全て否定的な言葉で打ち返されてしまう。


そして私はついに学んだ。

人間辛い思いをしすぎると、「欲しい」と思うものが手に入らず過ごす期間が長いと、こんなにも攻撃力が上がってしまうこと。

そうなったら、他人の生半可な優しい言葉など全く届かないのだということを。

本人が自分を変えると決めない限り、受け取る準備を整えない限り、外野がそれを癒すことは無理なのだと学んだ。

(いや最初から頭では分かってたんだけどさ。)


本当は、小さな小さな「欲しい」だったはずだ。

それが最初に手に入らなかったから、きっと手に入らない人生を選び続けることになったのだ。

手に入らなかったのはおばさんのせいではないのに、それがこんなにも「攻撃力」という形になって現れ、人を遠ざけてしまうなんて理不尽だよね。

だけどそれもまたおばさんの人生。

私にはどうにも出来ないことだ。


私の彼もアスペルガーで、私が思う「欲しい」は手に入らないことが多い。

きっと私も小さい頃から「欲しい」が手に入らなくて、その頃作られた人生観のまま、今の「欲しいが手に入らない人生」を送っているかもしれない。

本当は何も気付かなければ、私もおばさんのように生きていったかもしれない。

でも私は、これからは 欲しいものは全部手に入れていく って決めた。

遠慮しない。
嘆いたりしない。
周りを気にする事も(たぶん)しない。
そんな生き方に罪悪感も(たぶん)持たない。

攻撃力じゃなく、癒しの力を大切にする!

そうする事で彼氏との仲が穏やかになっていくなら、それはすごく嬉しいことだなって思うんだ。


・・・。

ちなみに彼の反応はと言うと、まず疲れ果てて帰ってきた私を見て、珍しく「まぁ座りなよ」と私を食卓につかせて水を出してくれた。

そして「へーふーんそーなんだー(棒読み)」と言いながら私の話を聞いてくれた。

がしかし。

話を聞きつつおばさんからもらったお菓子を「甘いものに罪はないからね」とバクバク食べている彼を見ると、「どのくらいちゃんと聞いてんだろ?」と思ってしまうのだ(爆)。

で、最後に「これ貸してあげる」と言って、本を貸してくれた。

その名も「人間関係をリセットして自由になる心理学」である。

どんなフィルターを通してそうなったのかは分からないし、前みたいにそれを確認しようとは思わないが、きっと彼なりに私を考えて貸してくれたのだと思う(笑)。

ありがとうありがとう。

今日は不思議と、素直に受け取れそうな気がするよ。

いつも読んでくださりありがとうございます!直近でいただいたサポートは、引っ越し先で使う新しいカーテンと木の食器のために、大切に使わせていただきます(2019年3月末現在)。