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番組表通りに見るメディアよりも、いつでもどこでもメディアが完全優位な時代に。

 周囲の人たちに話を聞くと、日頃の情報は即時性のあるTwitterやお気に入りのYouTubeを利用し、テレビやラジオなどの電波媒体を試聴し、新聞や雑誌のような紙媒体を読むのが、ほとんど無くなってきたという人が多くなっている。

 筆者の前職は新聞社であったので、当時は、情報の大半を紙媒体に頼り、新聞ラテ面番組表をチェックしながらテレビを観るのが当たり前だった。

 ところが、ユビキタス時代に突入し、手元のスマホやタブレット、更にはラップトップを利用して情報を得るのが普通となり、映画についてはAmazon prime videoなど(現在12社の配信サービス)の映画配信サービスを利用するのが日常となっている。

 よって、インターネット通信費が高い国内では、もっとキャリア組がインターネット接続料金を安価にすることで、映画配信サービスは劇的に伸びて行くに違いない。

 ウクライナ危機で活躍しているStarlink(SpaceX社)のように高速衛星通信が可能となれば、地上に張り巡らされる光ケーブルや地上アンテナは補完的なものとなり、国内インターネット通信料金も安価に提供できるのではないか。既に、Starlinkと米空軍が契約したという情報もある。

 既述の通り、情報が『与えられる時代』から『個々が選別する時代』に変わりつつある。そこで重要な問題は、『コンテンツの質量、信憑性、自由度』が利用者の選択肢のプライオリティを左右してくる。

 情報が『与えられる時代』とは、予め時間帯も放送内容も一方的に決められたものを半強制的に情報を押し付けることになる。それに反して、『情報は個々が選別する時代』となれば、個人はあらゆるデバイスを駆使することで、あらゆる配信サービスのコンテンツを、いつでもどこでも自由に選別し、見聞きできるということである。

 従来のテレビの『視聴率』なんぞ意味が無くなってしまう。現在、従来テレビの広告費が適正価格なのかも疑わしくなってくる訳だ。従来は、地上波において、NHK受信料を支払う以外に、後は垂れ流される民放番組を切り替えながら観ていたが、今は全く異なる世界となってしまった。

 このようにデジタルは秒進分歩の勢いにて世界を変えてきた。更に、デバイスの進化、コンテンツの配信方法の進化により、『メディアの価値観』、『情報の価値観』が急激に変わりつつあるのを肌に感じるのである。

 筆者は仕事はデジタルだが、一人の人間として背中を見れば、完全なるアナログ人間である。しかし、デジタルメディアを取り扱う人間として、常に己に言い聞かせているのは、『フェイク』を瞬時に見抜き、信憑性の高い情報のみを取り扱うを原則として仕事に邁進するということである。

 畢竟、世の中というものは、一人の人間が想像するよりも、70億倍の速さで日々進化しているのだろうと・・・。

孔子公園に咲く『ZINNIA』 

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