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西田親生の自由気まま書・・・京料理『えのきぞの』、ロゴ制作秘話。

 今から4年前の夏、京料理えのきぞの店主 榎園豊成さんから電話が入った。近々店を移転し、新たな店のロゴを制作して貰えないかとのことだった。

 素直に嬉しくもあり、名店のロゴとなればプレッシャーがないと言っては嘘になる。更に、話を聞くと、別に依頼していたところから4パターンが届いたけれども、しっくりこないとのことだった。尚更、ハードルが高くなったが、一度、直接会って詳細を聞くことに。

 翌日、熊本ホテルキャッスルのダイニングキッチン九曜杏で待ち合わせ、対面にて打ち合わせをすることにした。電話で伝えた通り、既に手元にある他社の4パターンのロゴデザインは、筆者は制作前に一切見ないことにしていたので、筆者の頭の中は、更の状態である。

 正直申し上げて、印刷会社かデザイン会社か、また、プロのデザイナーなのか書家なのか分からないが、他社が作ったものは、筆者にとって不要な情報として頭に突き刺さってくるので、事前に拝見することは、失礼ながら拒否させて頂いた。

 同店は熊本を代表する名店として以前から存じ上げており、初代である祖父が立ち上げた料理専門学校としてスタート。そして、二代目の父、三代目の同氏と、熊本県内の食文化に大きな影響を与えてきたところでもある。

 特に、祖父は昭和元年に東京上野の精養軒に入社している。当時はとてもハイカラさんであった訳だ。因みに、当時の精養軒と言えば、天皇の料理番で有名な秋山徳蔵氏が修行したところでもある。(秋山氏は精養軒築地で修行)

 従って、名店『京料理えのきぞの』のロゴデザインとなれば、筆先が震えるほど、描く前から心臓の鼓動が体全体に響いてくる。それも「明日にでも!」と性急となれば、尚更だ。

 オフィスに戻り、その日の会話を一つ一つ思い起こしながら、それまで筆者が通って食した同店の料理を何度もイメージし、同氏や奥様お二人の願いを受け止め、一気に描くことにした。

 平仮名で『えのきぞの』。漢字の『榎園』であればインパクトが強く、カチッと描きやすいが、平仮名のイメージが湧いてこない。しかし、明日まで描かねば、開店準備が間に合わなくなると言う。

 普通に『え』と描けない、『え』。変体仮名をイメージしようとしても、『え』に繋がるものは多種存在する。困った、実に困った。

 変体仮名を頭に添えて、それも読み易い形に、更には、その流れが最後まで続くもの。迷いに迷ったが、時間がない。ロゴデザインなので、『書』ではないが、まだ、頭の中は整理がつかず、散らかった状態である。

 時計を見ると、既に午前3時を回っていた。結局、再会した時にお聞きした話を、心の中で何度も反芻し、或る程度時間が経った時に、一気に描き上げた。侘び寂びの世界や、筆者が知り得る月心寺の故 村瀬明道尼さんの想い出なりを紐解きながら。

 出来上がったのは良いが、後は、同氏や奥様が気に入ってくれるかが問題である。他の4パターンのロゴより優っていなければならない。よって、完成したロゴデザイン『えのきぞの』を持参し、熊本ホテルキャッスルで手渡すことにした。

 その時、奥様へは、手元にある他社のロゴデザインを見せてもらうよう依頼していたので、その場で拝見することになった。

 手前味噌になるけれども、4つのパターンのロゴデザインに『心』を感じることはなかった。ありきたりの文字タイプであり、同店の歴史も拘りも知らぬようで、高尚な京料理とは完全に懸け離れていた。

 結局、4つのパターンを見なくて良かったことと、故 村瀬明道尼さんを思い起こしながら描いたのが奏功したのだろうと、自分なりに受け止めている。

 お二人の顔を見ると、筆者が描いたものを気に入ってくれたようで、ニコニコしながら、「よかった。よかった。これをロゴデザインで使わせて頂きます。」と言ってくれた。胸を撫で下ろした。

 また、開店当日に聞いた奥様の言葉であるが、「あの時、お頼みしなかったら、開店できなかったと思います。本当に助かりました。」と言ってくれたことを、昨日のように覚えている。実に有難い言葉だった。

 驚いたことに、榎園さんが関西で修行していた頃に、何と、月心寺の故 村瀬明道尼さんの存在をご存知であり、その書物も既に読まれていたと言う。筆者がロゴをイメージした時の故 村瀬明道尼さんである。その話を聞いて、鳥肌が立った。

 昔、月心寺を訪ね、村瀬明道尼さんに直接お会いして、手作りの精進料理を食したことがあったので、何かのご縁かと思い、この一晩で描いたロゴデザイン『えのきぞの』は、筆者にとっては、一生忘れることのない作品となった。


<故 村瀬明道尼/月心寺>
※村瀬明道尼(2013年7月19日没)は、NHK連続テレビ小説「ほんまもん(放送期間:2001年~2002年)」の主人公のモデルとなった、かの有名な吉兆主人も一目置いたという精進料理の達人。特に、村瀬明道尼が作る『胡麻豆腐』は、天下一品と言われた。因みに、筆者が20代の頃に、月心寺へ足を運び、村瀬明道尼を前にして、最高の精進料理を堪能している。


西田親生の自由気まま書
『えのきぞの』
※複写転載は厳禁

▼榎園豊成さん

▼月心寺

▼京料理 えのきぞの公式サイト

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