イエスマンの存在は、企業を弱体化させるのみ。
いろんな企業を観察すると、独裁者の存在する企業には、何故かイエスマンが多く存在している。何をするにも、イエスマン。会議中も異論なしの、イエスマン。上司の指示を100%受けて、全て完遂ことだけに傾注している、イエスマン。
しかし、上司からの指示が本当に全て正しいものなのだろうか!?人間であるが故に、答えは否であろうかと。イエスマンは、事前検証をすることもなく、それが正しくないと思っていても、諍いを避けて、イエスマン。
イエスマンはとてもお人好しであったり、温厚であると思われがちだが、それはやや偏った評価ではなかろうか。上司の指示が、会社転覆に至るような緊急事態でもイエスマンであれば、会社が危機に瀕している時に、支える人間は皆無となる。
独裁者のいる企業の会議の運営はとても似通っている。会議と言っても、既に一部の人間で決めたことを披露するだけのものが多く、会議という形はあっても、全く意味のない時間潰しの会議となりがちだ。
会議は、討議あっての価値ある会議となる。会議前に何もかも決定しているのであれば、会議は不要。決定事項を、皆にメールや文書で通知すれば事足る。しかし、どうしても独裁者は高圧的な手法を用いて、常に部下を潰したがる。
その悪き慣習が長期に渡り次の世代、次の世代へと継承されて行けば、いつの日か、自主性のない、苦言も提案もできない、イエスマンばかりが増え、企業は弱体化への道を辿ることになりはしないか。
会議は、討議の場。反対意見、ウェルカムである。提言、これまたウェルカムである。上司の偏った異見が通らない、ウェルカムである。若手社員の意表を突くアイデア、ウェルカムである。最終的には合議制により、企業のベクトルを微調整しながら、アジェンダを実行に移すことが肝要となる。
会議好きで知られる日本人であるが、これからの時代、効率の良い会議というものに衣替えされては如何だろうか。