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10年昔記事(2013.11)・・・あっと言う間の18年

 ネット事業を開始したのは1995年8月22日だった。当時、熊本県ではまだ「インターネット」、「ホームページ」、「Eメール」といった言葉が珍しかった時代である。しかし、新しい情報に敏感な熊本の経営者たちはインターネットに興味を持ち、そのグループや団体からの講演依頼が相次いだ。

 そのような状況の中で、筆者は未知の領域であるインターネットに果敢に取り組んだ。言葉は適切ではないが「博打」に近いものであった。高額なインターネット専用各種サーバーやダイヤルアップシステムを導入した頃の筆者は、「このメディアが世の中を変えるだろう。そのために命を懸けるぞ!」と決意し、HTMLの研究を行い、毎日スタッフと共にミーティングを重ねながらコンテンツ作りに励んだ。

 その情熱を凝縮したのが、写真のような「The Rosetta Stone」のパンフレット。実は倉庫を整理していて偶然見つかったので、ご紹介することに。このパンフレットはわずか4ページだが、印刷費だけでも100万円掛かり、ネット事業を本格的に展開するための一歩となった。

 当時のネットの世界を、一般の方は「宇宙語」とさえ揶揄していた。全国各地の講演会で東奔西走の毎日だったが、何と、大手航空会社や旅行代理店からの打診もあった。しかし、筆者が主に活動していたのが熊本であり、丁重に断るしかなかった。今振り返ると、非常に勿体ない話である。

 しかし、熊本で活動しているにも関わらず、「オウム真理教の人間じゃないか!?」、「西暦2000年になったら参加してやっても良いよ!」、「あの会社の御輿を担ぐ必要は無いぞ!」など、当時の熊本県では誹謗中傷が絶えなかったのである。

 アンチIT派の言葉は根拠がなく、偽計業務妨害や名誉毀損に当たるほど嫌がらせが多かった。まさに「見えない敵との闘い」である。数千万円のリスクを負いながらも、本格的ネット環境を整え、熊本県内を新しいメディアの拠点として育てたいという強い情熱を抱いていたが、結局は振り子のように振れる毎日で、非常に苦しい時期であった。

 「遣ると決めたら遣り通す!」。これが筆者の信念である。気がつけば18年が経過し、1995年にスタートしたポータルサイト「The Rosetta Stone」は今でも健在だ。助成金や補助金、融資を受けずに、一匹狼で頑張っている自分が、可哀想に思えたのである。

 ある村のホームページを全国で初めて立ち上げようとしたところ、行政が県内市町村を総括するサイトを構築するという事態が発生した。民需圧迫であるが、資金力では圧倒的に不利な弊社。まるで鼠が象と戦っているような状況である。

 現在でも同様に、行政の予算が余ると、意味のないサイトが次々と立ち上がることがある。しかし、数年経つと静かに姿を消していく。これが予算(血税)の使途の実体なのかも知れないが、納得行くものではない。そして、「責任の所在」がないのだから、尚更である。

 最後に、頭を痛めていた頃に唯一救いとなったのは、当時の日銀熊本支店長からの言葉であった。人伝に聞いたのだが、「The Rosetta Stoneをよく見ています。役立つ情報が多くて面白いですよ!」と。

 その言葉(噂)を聞いて、肩の力がスッと抜けたような気がしてならなかった。素直に感謝の言葉も見つからぬほど、嬉しかった。

※上記は、今から28年前の話となります。

「The Rosetta Stone」のパンフレット
1995.8.22
「The Rosetta Stone」のパンフレット
1995.8.22

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、筆者がネット事業を始めた当初から現在に至るまでの経験や苦労、信念について述べています。以下にいくつかのポイントを指摘してみましょう。

  1. 情熱と決意の表現: エッセイは筆者の情熱や決意が伝わるような描写が多くあります。特に、「博打」に近いと表現される冒険的なスタートや、数千万円のリスクを負いながらもネット環境を整える姿勢が強調されています。これは読者に筆者の姿勢や覚悟が伝わりやすくなっています。

  2. 苦労と誹謗中傷の描写: 筆者が当時の熊本県で直面した苦境や誹謗中傷について触れています。この部分はリアルで生々しい描写であり、挑戦者としての孤独や困難が伝わります。誹謗中傷の描写も、当時の状況を理解しやすくしています。

  3. 信念と達成感: 「遣ると決めたら遣り通す!」という信念がエッセイ全体を通して繰り返し強調されています。また、18年が経過してもポータルサイトが健在であることは、その信念の結実として読者に印象づけられます。達成感や持続的な努力が伝わります。

  4. 公共事業との対立: 行政の予算が余ると無意味なサイトが立ち上がり、数年後には姿を消すという事態に対する批判的な意見が述べられています。この部分は、公共事業の実態に対する考察が含まれており、社会的な問題にも触れています。

  5. 励ましと感謝: エッセイの最後では、当時の日銀熊本支店長からの言葉が救いとなったというエピソードが語られています。このような励ましやサポートがあったことが、筆者にとっての救いとなったことが伝わります。

総じて、エッセイは情熱的で、読者に筆者の経験や信念を感じさせるものとなっています。また、苦労や対立にも率直に触れ、その中での達成感や感謝も描かれており、全体として非常に感動的な内容となっています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。