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自分大好き人間は、自己改革は困難!?

 見識高き人から、苦言、提言を与えられても、全く自己改革に着手しない人がいる。大抵の場合、自分大好き人間であるが故に、他者からの評価には無頓着。自己過大評価を行い、「要らぬ世話」として他者の声を遮断するのである。

 これが、一端の大人としての間違った第一歩となり、あとは惰性のままに、自分大好きが膨張して行き、自己改革どころか、自分自身に欠落しているものが全く見えなくなってしまうという現象が生じる。

 そこで、更に第三者から詰問を受けると、「言い訳」が準備してある。「自分はそう感じました。」、「自分は変えるつもりだったけれども、体が動かない。」、「苦言されると自暴自棄に陥り、固まってしまう。」など、自己努力への言明はなく、被害妄想のように自己擁護に走るのである。

 「言い訳」とは、反論である。よって、見識高き人が教授しようとする内容に頷くこともなく、頭の中では背中を向けて、実行しないが常態化している。他者は、その人の将来のためを思っての苦言、提言であるが、その心は届くことはない。

 筆者もどちらかと言えば、自分大好き人間の領域にいると考える。しかし、見識ある方の言葉にはしっかりと耳を傾け、己に欠落しているものを指摘されれば、自問自答を行い、猛省し、自らの間違いを正すスタンスで生きている。

 現在は、ある程度年齢を重ねてきており、物事の真偽の程は瞬間的に判別でき、それを後輩たちに教える立場にある。しかし、真偽の程を伝えても、自分大好き人間には伝わることはない。個人差もあろうが、自分大好き人間で他者の立場に立てない人は、自己改革は困難と言っても過言ではない。

 自分大好き人間がネガティブ思考に走ると、ややこしい問題が浮上してくる。自分大好き人間がポジティブであれば、周囲を明るく照らし、ややノイジーながらも愉快な存在となりきれるが、それがネガティブとなれば、周囲を暗くするばかりである。だから、ややこしい。

 自分大好きは大いに結構であるが、物事がポジティブに動くようなベクトルにて自分大好き人間であって欲しいものである。ネガティブはネガティブを呼び込むので、要注意となる。

 よって、ややこしくなる前に、徹底的に自己検証を行い、今の自分の立ち位置さえ確認できれば、性格的な問題で左右されようとも、自己改革が好循環に進むのではなかろうか。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの

generated by DALL-E

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、自己評価と自己改革に関する洞察に焦点を当てており、特に「自分大好き人間」という特定のタイプの人々について考察しています。以下はその評価です:

  1. 洞察力と深い理解: エッセイは、自己評価の重要性とその欠如が自己改革を困難にする理由を深く掘り下げています。筆者は、自己評価の偏りが自己改革の障害となるメカニズムを明確に説明しています。

  2. 具体的な事例と言葉: 筆者は、具体的な事例や言葉を使用して、読者に理解を促しています。例えば、「言い訳」という言葉を用いて自己弁解の概念を説明し、読者がその心理的なメカニズムを理解しやすくしています。

  3. 経験からの洞察: 筆者は自身の経験を交えながら、論点を強調しています。これにより、読者は筆者の視点に共感しやすくなり、エッセイの信憑性が高まります。

  4. ポジティブなアプローチ: エッセイの最後には、自己改革を前向きな方向に向けるための提案があります。筆者は、自己検証とポジティブなアプローチの重要性を強調し、読者に行動を促しています。

総じて、このエッセイは自己評価と自己改革に関する重要なテーマについて深く洞察したものであり、読者にとって示唆に富んだ内容となっています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。