読者の方の話を聞いて・・・なるほど。
毎日書き綴る拙い筆者のエッセイやコラムだが、noter以外で知人友人の数十人へ記事URLをお送りするのも日課としている。
昨日、その一人の方にたまたま直接お会いしたので、記事の感想を聞くことにした。返ってきた言葉が「私は漢字が苦手なので、漢字の勉強になっています。」とのことだった。なるほど。
日本語の宿命であるとも言える、言語の難しさ。漢字、平仮名、カタカナなどが混在し、漢字も音読みと訓読みもあり、故事成語や諺など、かなりの学習が必要である。
そこで、もし漢字を読めないとなれば、筆者が意図したことが正確に伝わらないことになるので、その方の言葉にピクッと反応してしまった。
勿論、可能な限り、平易な文章で書き綴ることに努めているので、専門的なものも分かり易く書いている「つもり」であるが、その「つもり」では駄目だと思い知らされた。
筆者もまた、学生時代は英語や理数系は得意分野として好きだったけれども、現代国語や古文漢文については、正直なところ、あまり興味がなかったように思える。
しかし、社会人となって、必要なことは、ビジネスでもプライベートでもしっかりとしたコミュニケーション能力を持たなければ、生きていけないことに気付かされた。起業する前の前職は新聞社なので、尚更のことである。
漢字を知らない、読めない、意味が分からないでは、筆者が正確な情報を発信したとしても、受け取る側が理解不能となれば、その記事は「死に記事」同然の価値となるだけの話だ。
よって、今後、エッセイやコラムを執筆する時には、平易な表現を原則として、もし専門用語や難解な漢字を使わざるを得ない場合は、注釈をつけるよう心掛けなければならない。
特に、新聞離れの激しい若い層にとっては、文字よりも、絵文字の方が瞬間的にアイコン機能と同様に、感情が伝わることはよく理解できる。
先日も、LINEやMessengerなどの文字化したものだけでは抑揚がないと誤解を招くといった記事『異論反論的表現は、誤解を招く。』を投稿したが、以下のご意見がコメントとして残されていた。とても有難いことであり、今の方々の考え方が理解できるので、ご参考にして頂ければと。
▼筆者の記事に対するご感想
受け手としての目線ですが、仕事上での先輩とLINEで報告のやりとりがテキストばかりで指摘なのかアドバイスなのかわからないことがありました。しかも電話もされない方なので、せめて感情の伝わる絵文字をいれてほしいなあと感じていました。テキストのみだと感情が伝わらず誤解をしやすいですよね。メッセージと電話をセットにするととても良いと感じます。僕も発信側のときは心掛けたいです。ありがとうございます。