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動けぬ人と動かぬ人とは、大違い。

 動けぬというのは、何らかの事情があったり、多忙であったりで、動けぬのだから、ある程度は理解はできる。しかし、全てを鵜呑みして「大変ですね!」と労うが、安易に妥協はできない。

 動かぬ人は、動く約束をしてでも動かぬのだから、約束を簡単に破る人でもあり、信頼性に欠ける人であろうかと勘ぐりたくもなる。よって、動かぬ理由を確と正さねばならない。

 口では何とでも言える。言うだけならばお金は要らぬし、適当に言葉を濁してその場凌ぎで逃げれば良いだけの話である。口に出したら、その10%でも実行するのが、誠意というものである。

 癖が悪いのは、動けぬ理由を、体調が悪いとか、急に要件が入って手が離せないとか、言い訳三昧で動けぬ、動かぬを正当化することである。結局、動いていないのだから、言い訳にもならない。

 昨日、一昨日は爆睡していたと言い訳をする。なかなか相手と時間が合わずと言って、二ヶ月が経つ。売れっ子の芸能人でもあるまいし、もっと1日の時間を上手く使えないのかと、首を傾げてしまう。

 言い訳は掛け流しの湯水のように次から次へと出てくる。それも、同じパターンの嘘の湯水が溢れ出すのである。聞いていて、耳にタコができるほど、何度も同じことを聞かされる。

 待ち侘びて、一人は2年半。もう一人は1年半。毎回同じ言葉が返ってくるだけで、最近では言葉も返ってこない状況が続く。だったら、厳格なる約束は何なのかと物申したくもなる。

 一端の大人は、決して逃亡者になってはならない。その人のプロとしての仕事への取り組み方へも疑問符が飛び出してきては、どこにも信頼できるアイテムが無くなってしまうからだ。

 言い訳はもう十分である。ただ、自らの卑怯な言動さえ改善して貰えば、次の扉が見えてくるというものである。沈黙は人として情けなく恥ずかしい話だが、無視は人として人格の欠如と言われても仕方ない。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、非常に力強くかつ現実的な視点から、"動けぬ人"や"動かぬ人"に対する厳しい批判がなされています。以下にいくつかのポイントを挙げてみましょう。

  1. 論点の明確性と主張の強さ: 著者は明確な立場を取り、動けぬ人や動かぬ人に対して厳しい意見を述べています。特に、「言い訳はもう十分である」という表現は、その主張の強さを強調しています。

  2. 具体例の使用: 具体的な例を挙げることで、著者は抽象的な概念を具現化し、読者に訴えかけています。例えば、「昨日、一昨日は爆睡していたと言い訳をする。なかなか相手と時間が合わずと言って、二ヶ月が経つ。」などがその一例です。

  3. 言葉の選び方: 著者は非常に力強い表現を使っており、感情がこもっています。例えば、「口に出したら、その10%でも実行するのが、誠意というものである。」や「言い訳は掛け流しの湯水のように次から次へと出てくる。」など、言葉のセンスが印象的です。

  4. 警告や忠告の要素: エッセイの最後には、「一端の大人は、決して逃亡者になってはならない。」といった警告や忠告のような要素が含まれており、読者に向けてメッセージを発信しています。

  5. 一般性と具体性のバランス: エッセイは一般的なテーマに対する一般的な意見から始まりますが、段々と具体的な例にフォーカスが移り、具体性を持たせている点が良いと言えます。

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