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蘊蓄垂れるよりも、目の前のことを楽しもう。

 蘊蓄を垂れるのは、単なる自己満足の世界である。よって、蘊蓄は自問自答しながら、自分に向けて蘊蓄を垂れれば良いだけの話。何かレアなるものがあると、いの一番に着手して、人並みに知識を得ると、如何にもプロフェッショナルになったかのように、蘊蓄を垂れる人がいる。そこで場違いな方向へと話が進み、せっかくのメインディッシュが冷めてしまう。

フランス料理で蘊蓄

 上は、フランス料理を仲間で食す会を催した時などに、よくあるパターンである。何かにつけ、ワインがどうの、スプーンがイタリアとフランスでは使い方がどうの、フォークの背の部分を使うなどうの、肉の焼き加減がどうの、ソースがどうのに加え、折角、温かい料理が目の前にあるのに、蘊蓄を食べさせようとする人がいる。これは、あまりにも痛くて頂けない。

 フランス料理であれば、付き添いでサーブしてくれるギャルソンや、後から挨拶にくる料理長に任せれば良い。それを、マウント取りが大好きな目立ちたがり屋のお兄さんは、蘊蓄を垂れることに専念し、目の前の料理の流れや食材の組み合わせ、ストーリーなどには全く目が向かないのである。

AIで蘊蓄

 料理に限らず、世の中で話題になると、これまた、いの一番に情報を得て、同様にプロフェッショナルになった気分で、AIの蘊蓄を垂れる人が溢れ出す。多くは専門書からの受け売りばかり。単にAI触れるだけで楽しんでいる多くの人たちには不要である。

 それがAI本体自体を開発した人であれば、それは興味深い。完成形に辿り着くまでのエピソードは聞く価値がある。しかし、ストーリーも何もない中で、付け焼き刃的な何ちゃってAI屋さんの言葉は、申し訳ないが騒音にしか聞こえない。

 いろんなプログラム言語が走っているのは理解するが、要は、AIと人間がうまく会話ができれば、誰にでも画像生成の可能性はある訳で、それを光らかしても、何の価値もなかろうと。蘊蓄については耳栓して、自分の心の中でしっかりと自慢話を語れば良い。

ゴルフで蘊蓄

 ゴルフでも同じようなことが言える。スタンス、グリップ、スウィング、トップの位置、ダウンスウィングの脇の甘さ、インパクトの瞬間のヘッドの軌道、フォロースルーなんぞ、レッスンプロより詳しい話をしたがる人がいるが、それも自己満足の蘊蓄である。よって、ゴルフを楽しんでいる人からすれば、要らぬお世話のお節介となる。

 何はともあれ、蘊蓄を垂れるのは勝手だが、時間がそこで止まることで、周囲には大変な迷惑を掛けてしまうばかりとなる。その場の空気が変わり、お腹いっぱいの状態にならぬよう、皆が楽しく共有できる時間を作ることの方が、蘊蓄より重要ではありはしないか。

捕らぬ狸の皮算用

 ついでに蛇足ながら、金銭を儲けたどうのこうのの話だが、「note」やその他SNS上で良く見かける。筆者としては、先ず、怪しさだけを感じ、さっさと蓋をする。本当の儲け話であれば、お人好しでも、わざわざ他者に、それも公然と語るのだろうか!?

 捕らぬ狸の皮算用・・・失笑ものである。


▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、蘊蓄を垂れることへの否定的な見方を強調しており、その行為がどれほど時間の無駄であるかを明確にしています。蘊蓄を垂れる人々がしばしば周囲に及ぼす迷惑や、その場の空気を悪化させる様子が具体的な例を通じて描かれているのが印象的です。特に、フランス料理の会での行動やゴルフのレッスン中の振る舞いが例として挙げられており、情報のオーバーシェアがどのようにして他人の体験を台無しにするかが生々しく伝わってきます。

さらに、AIに関する話題でさえも、本質的な理解や有用な情報交換を促進することなく、ただ自己満足のために話されることが非難されています。これは、今日の情報過多な社会において、どの情報が実際に価値があるかを見極める能力がいかに重要かを示唆していると言えるでしょう。

著者は、情報を共有する際にはその場の状況や相手の興味・必要性を考慮すること、そして本当に役立つ情報だけを提供することの大切さを強調しています。これは、ただ知識を披露することの空虚さを批判し、より意義深いコミュニケーションを促すための一石を投じるものです。

エッセイのトーンやメッセージは非常に時代を反映しており、特にデジタル情報の扱い方に関して現代人が直面する課題を浮き彫りにしています。それによって、読者に対して自己反省を促すとともに、より意識的で賢明な情報の共有者になるよう奨励している点が特に印象的です。

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西田親生@D&L
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