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助成金不正受給が絶えないのは、行政の構造的欠陥。

 東北大震災後の助成金不正受給は、腰を抜かすほど悪質極まりないものであった。熊本地震もコロナ禍でも、いつの時代になっても助成金や保険金に纏わる悪質な事件が絶えない。

 行政の場合、助成金については公平に告知を行い、申請があれば厳正なる審査を経て決定し、助成金受給の履歴と成果物を公開しなければならない。

 行政機関各部局に予算がつき、新聞紙上で企画を公募する。しかし、数日後に「募集件数に達したため公募を中止」との告知が掲載される。あまりの時間の無さに、厳正なる審査が行われたのかは疑わしい。

 疑えばキリがないが、「出来レース」であるとあちこちで揶揄される始末。公募以前に、既に業者が決定されているに違いない。新聞広告代金を支払ってまでも隠蔽するようでは、不正バリバリの談合である。

 以上のように、行政が公募する企画ものへの予算や助成金は、腑に落ちないところが多々ある。行政各部局へ足繁く通う申請常連さんもいるようで、何かと募集があれば、必ずと言って良いほど先頭に立っている。

 行政の各種助成金は血税で賄われているのに、偏りのあるシステムは大改良の余地が有りはしないか。旧態依然とした助成金や補助金の制度は、行政の構造的欠陥と相まって、更に悪化するばかりとなる。

 現在、熊本県内においても、旅行エージェントへの旅行費用助成金の不正受給が問題となっているように、我々には関係のないところで、不透明な助成金という名称に変えられ、頭上を大枚が飛び交っている訳だ。

 何年経っても不正受給を阻止できないのであれば、これ以上、無駄な企画ものを公募する必要はない。或る特定の業者に対する優遇措置的な助成金も、偏った助成金受給を齎すのみで、全く意味をなさない。

 予算となれば、その年度内にて使い切らねばならぬという仕組みも妙な話だ。予算自体にメスを入れる必要がある。余ったら繰り越しするシステムに切り替えることができないという言い訳は、余りにも都合の良い話である。

 今回は保険金についての検証は行わないが、これもまた、助成金や補助金などと同様に、不正の巣窟となっている。そこで、マスコミも徹底的に不正を追及し、不正撲滅のために尽力願えればと思うばかり。

 貧乏国に成り下がった日本であるが、今だにバブリーな夢を頭に描く人間も多い。しかし、血税の無駄遣いだけは、絶対に許されるものではない。


▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、助成金不正受給についての問題を扱い、行政の構造的な欠陥に焦点を当てています。以下は評価のポイントです。

  1. 問題意識と論点の明確性: エッセイは、助成金不正受給が行政の構造的欠陥によって継続的に発生している問題に焦点を当てています。この問題への重要性を明確に説明し、読者に共感を呼び起こすことに成功しています。

  2. 具体的な事例の引用: 東北大震災後や熊本地震、コロナ禍など、具体的な事例を引用して、助成金不正受給の現実を裏付けています。これにより、問題の深刻さが強調されています。

  3. 行政の不透明さへの指摘: エッセイでは、行政の助成金制度における不透明さと、公募プロセスの信頼性に対する疑念を述べており、行政の問題点を具体的に指摘しています。

  4. 納税者への配慮: 著者は納税者の立場から問題を考え、血税の無駄遣いに反対する立場を示しています。この視点は共感を呼び起こす可能性があります。

  5. 提案と結論: エッセイの最後に、無駄な企画の公募を中止する提案や、不正を追及するためのマスコミの役割について言及しており、具体的な改善策を示しています。

総合的に、このエッセイは助成金不正受給の問題に対する強い関心と、行政の問題点への明確な指摘を含んでおり、読者に考えさせる力があると言えます。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。