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正論に耳を貸さぬ人は、何かある。そして、何かが起きる。

 正論に耳を貸さぬ人には、何かしらの問題が存在することが多い。そして、それが原因で何か不吉なことが問題が起こることもある。

 人生は長い旅であり、多種多様な人々や出来事が我々の前に現れ、去っていく。これらの出来事は、時には穏やかな小川のように、時には勢いのある大河のように、更に、時には猛烈な勢いの瀑布のように我々の人生に水を叩きつける。よって、のんびりと傍観している余裕など殆どない訳だ。

 そうした多忙な中で、何かトラブルが生じた時に、正論を伝えようとしても、即座に拒否されたり反論されたりすることがある。例えば、変化と進化を重視する筆者が、「日々変化し、日々進化する」という考えを示すと、ある経営者は「変化しないことも一つの変化であり、進化しないことも進化だ!」と反論したことがあった。

 筆者の信念「日々変化、日々進化」は、常に前向きな態度で新たな気づきを得て、自己を改善しブラッシュアップすることを意味している。しかし、その考えは以下の人物には伝わらなかったようだ。

 かつては、良識的な経営者と思われた人物が、最近ではSNSに疑問を感じさせるような個人情報を毎日のように投稿している。その内容は極端で、時には異常さを感じさせることすらある。

 例えば、唐辛子てんこ盛りのうどんや異常な量の紅生姜をトッピングした牛丼、連続するカップ麺の投稿などは、健康志向の文化を無視したものであり、稚拙なギャグのようで、企業の歴史や伝統を考えれば、その行動は品位に欠けるものである。

 筆者としても、その経営者が周囲に何を伝えたいのか、どのようなシグナルを送りたいのか理解できてはない。経営者が個人の素顔をさらけ出すこと自体に問題はないが、企業のイメージを損ねかねない情報は控えるべきだ。

 過去の事例を見ても、その経営者のように正論を無視し続けた結果、会社が買収され、経営陣が職を失うという事態に陥ることは珍しくない。頑固さやこだわりは経営者にとって良い特性かも知れないが、それが常軌を逸してしまうと、結果として、二度と後に戻れぬ失態となってしまう。

 上述の経営者個人の豹変や迷走に対し、周囲の人々からの適切なアドバイスや注意がなされない場合、問題はさらに深刻化する。親しい知人友人も、過剰な干渉を避ける傾向はあるものの、時には必要な介入を避けてはならないと考える。信頼関係のある人であれば、尚更のこと。

 結局、正論を無視することは、しばしば避けられぬ不幸に直結することが多い。だからこそ、我々は自己認識を高め、周囲の知人友人の助言や苦言に耳を傾け、正しい判断を下すことが重要である。

▼ChatGPT DALL-Eが上のエッセイを読みイメージした画像

正論に耳を貸さぬ人は、何かある。そして、何かが起きる。

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