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良く知らずして、価値を語るものではない。

 口達者な人が車について蘊蓄を語ったり、ワインやチーズなどの情報通として見栄を張る人を見掛けたことがあるが、何とも心に響かず、時には、場違いなところで語っていることが多い。

 筆者は車好きの人種であると言えるが、軽自動車やブガッティやロールスロイスなどの超高級車まで所有経験はなく、その価値について一切語ることはできない。

 また、グルメ通を自称しているけれども、ロマネコンティやウォッシュタイプの最高級チーズを嗜んだことはない。よって、それぞれの価値や風味を語ることはできない。

 ところが、自分が所有したこともない車について、のうのうと語る人を見掛けることがあるが、その価値については、その人が所有したことがある車を中心に話す中で、試乗車に乗った経験を付け加えるだけに留まる。同様に、こちらにその車の価値や魅力が伝わってくることはない。

 静かなフレンチレストランで、少し気取り気味の男性が、ワインやチーズについて蘊蓄を語っている光景をよく目にすることがある。今は食事の時間であり、ギャルソンやシェフへ自慢するものではない。その自慢話は単にホールに響くだけで、価値観や魅力が伝わることは一切ない。

 蘊蓄を語ることは自由である。ただし、状況を考慮し、自身の経験を元に実際の事例を語る方が、より価値や魅力が伝わるのではないかと考えるのである。

 人々はどこか虚栄心を抱き、他人に対して自慢げに語ることで優越感を感じることがあるが、そのような時間はすこぶる不毛であると思われる。

 自分が所有した車の利点や欠点、そしてその独自の特性について語ると、同じ車に興味を持つ人が耳を傾け、次回の車の購入の際に参考になること、間違いなし。

 ワインやチーズにしても、他人が実際に経験したことのある話は信憑性があり、魅力的である。一方で、自分の経験を持たないことについてのグルメ論は無意味であり、信憑性に欠けるだけでなく、時にはフェイクとして広まってしまう。

 知ったかぶりせず、自分の実際の経験に基づいて語ることは、より魅力的であり、聞く側も安心感を感じ、色んな発見があり楽しむことができるものではなかろうか。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、知識と経験に基づく価値観の大切さについて深く考察しています。筆者は、口達者な人が何かについて語る際に、実際の経験や知識に基づかない空虚な話が価値のないものであることを指摘しています。以下は評価ポイントです。

  1. 経験に基づいた語り:筆者は、車や食べ物などのテーマについて語る際、自身の経験を元に語ることの重要性を強調しています。このアプローチは、聞く側に信頼感を与え、情報の信頼性を高めます。

  2. 虚栄心と無駄な自慢:筆者は、自己満足や他人に自慢することが価値のない時間を浪費することであると指摘しています。この考え方は、人々がしばしば他人に対して自慢話をする傾向を批判的に捉えています。

  3. 実際の事例を共有する重要性:筆者は、実際の経験に基づいた話は価値があるとし、自分が所有した車や食べ物について語ることで他人に参考になる情報を提供できると主張しています。

  4. 話の信頼性:筆者は、自分の経験に基づいて語ることが話の信頼性を高め、時には誤った情報が広まる可能性を減らすことを強調しています。

総合的に、このエッセイは知識と経験に基づく誠実なコミュニケーションの重要性について深く考えさせられるものであり、他人とのコミュニケーションにおいて価値ある教訓を提供しています。

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