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伝わらない日本語

最近というか、
前から感じてたんだけど最近とみに、職場で言葉の齟齬を感じる。

ああ、私自身本業は作家かつ遊び人かつおとなのおねーさんで、職場というのは「世を忍ぶ仮の姿」であるところなんですが。

とにかくその、世を忍ぶ仮の姿で会社員などやっている身としては、業務に差し障りない程度のそこそこ円滑な人間関係をなんとか維持したいわけですが、
人間関係どころか業務に差し障る相手が数人いて困ってる。突出して二人。

彼ら彼女らに悪気はない。悪気はないんだけど、意思疎通の能力が微妙に欠如してるんだと思う。解釈力とか、表現力とか、想像力とか。

Zさんはまず、業務の引き継ぎに、主語がない。
相手がいることなのだから、「こういいました」「こうしました」の前には、「誰が」がまず必要なのに、それをすっとばす。
本人は自分で判っているから、なんだけど、自分で判っていることを、初見の相手に判りやすく伝えることが、何回言ってもできない。「自分が他人の立場になったとき」が想像できないんだと思う。
悪いと思いながらも、帰ったあとや、お休みの時に電話して、根気よく流れを聞き出して、把握する。とても脳がブドウ糖を消費します。

このZさん、わりとご年配なんだけど、新人の時はとても優秀だった。
決められたこと、教えられたことを忠実に行うことにかけては、Zさんの能力は素晴らしい。よく気がついたね、ということも度々あった。ものごしは柔らかく、いい人が入ったね、て感じだった。最初は。

そのうち、おかしなことが多々起きるようになった。

新しいこと、ちょっと複雑なことを、こなすとき、最初に手順を聞きに来る。それはいい。知らないことを聞くのは当たり前。
説明する。20分くらいかけて流れを説明する。判りましたありがとうございますといわれる。
その後どうするかというと、同じ事をそっくり、別のひとに聞きに行くのだ。
聞かれた人は、自分は初めて聞かれたわけだから、説明する。同じ事を、同じ時間かけて。
Zさんは、一つの仕事をこなすために、二人からそれぞれ20分の時間をいただいたことになる。Zさんのもらうお給料、40分分は、私たちから吸い取った時間だ。
最初は、私の教え方が悪いのかな、とも思ってた。理解できるまで聞くのはいいことだ、まだ新人だし。

そして、別の日も、同じ事を、同じように聞く。
仕事だからまぁ、そっくり同じ事例ではないけど、前回教えたことを飲み込んでれば、細部は応用が利くものだ。最低二人には同じ事を聞く。判りましたと言ってやる。
そして、別の日にはまた同じ事を聞く。

さすがに、おかしいんじゃないか? と、最初に気づくのは例によって私。
周りは気づかない、ちょっと難しかったからね、くらいに思ってる。Zさんは人当たりもいい、真面目、丁寧すぎるくらい真面目だけど、ちょっと融通が利かないけど……

自分の気づきがストレスになってきた頃合いになって、周りがやっと、Zさんはなんか違うと、思うようになってきた。
これは適性の問題。Zさんは機械的作業が得意な反面、物事を応用して柔軟に対応することが出来ない。
私たちが「同じ事例」と判断する仕事って、前回が10として、差違は1か2、って感じに受け取るだろうと思う。でもZさんは違う、10のうち1でも違えば、それは「全く別の事例」なのだ。一つのパーツを外して別のパーツを突っ込む、そのパーツを自分で探し出すことが出来ない。
ここまでいえば、知識のある方は、今の時代的にZさんはどういわれる方なのか、お判りだと思う。

適性の問題なのだから仕方無い。私は早々に、Zさんの適性にあわない仕事を無理に教えるのはやめた。
Zさんが判らない判らないとオロオロしている簡単な事例は、さっさと手を出して済ませてしまう。不親切なんだろうけど、適性なんだから仕方無い。周りはまだ頑張ってるけど、それはご自由にどうぞ。

応用の利かないZさんは、子供の頃から親に教わった昭和的な生活様式を変えない。足りない能力は、努力で補えばいいと思っている。能力不足で勤務時間内で出来なかった仕事は、タイムカード切ったあとで済ませればいいと思っている。真面目だから。
上司に何度言われても、周りがなにを言っても改善できない。融通が利かないから。
こないだも、タイムカード切ったあとだらだら30分くらい仕事してたので、
「Zさん、もうタイムカード切ったよね、そういう昭和的な働き方良くないよ」
といったら。
「よくそう言いますよねー」
と受け流されて終わりだった。
この人には、言葉の本質が通じない。いい人だけど、真面目だけど、ほんとの「ことば」は通じない。私にはあわない。
あわない相手に無理にすりあわせる必要はない。ほどほどに、『適当』に、距離をとってやっていけばいい。そう思ってるけど。

でも、引き継ぎの時に凄い苦労するわけよ!


もうひとりのXさんは、これは適性というか性格。
能力がないわけではない。と思う。
とにかく大ざっぱ。深く考えない。そして忘れっぽい。

記憶に新しいのは、
あるお客さんにXさんが、「Aという名前で申し込んだものを、自分が取りに行きます」「判りました、判るようにしておきます」
という流れで、品物を引き渡す用意をしていた。
全く引き継ぎがなかった。朝、Xさんと会ってんだよ、私。
その人がやってきた、対応したの私。
「○○ですが、品物をとりに来ました」
「○○さんのお名前でひきついでいるものは、ないのですが……」
「Xさんには言っておきました」
判らないから、もう退勤したXさんに電話しようとすると、
「Aの名前であるはずですが!」

ていうか、渡す品物の、明細の裏に「代わりの方が来ます」とか書いてどうすんだよ。
「どういう引き継ぎしてるんだ」「確認してないあなたが悪いんだろ」「自分を疑うような真似をされて不愉快だ(この辺過大解釈すぎ)」「責任者を出せ」とか散々ごねられた。責任者はいなかったのでお帰りいただいた。

もちろんこの客が、Aさんの名前を最初に出せば、何の問題もなかったのだ。
だけど、判るようにしておきますといったのはXさんなんだから、誰が見ても判るように配慮しておくのが基本だろう。

Xさんは大ざっぱすぎて、こまかな配慮が出来ない。
この点はZさんと同じで、「自分がこの案件を全く知らない立場だったら、これで伝わるかどうか」ということが、想像できないんだろう。
でも多分想像できていても、「こうしとけば判るか」「○○さんがAさんの名前をだすだろう」くらいに都合良く考えていそう。そういう人なのが、見ていてよく判るくらい大ざっぱな人なので。

こういうのが、各人それぞれ、週に、二・三回ある。合計すれば、毎日何かしらがある。
私はあれこれ配慮して、私がいなくても対応できるように残していくのに、この対応の差はなんなのか、どうしてこちらだけが大変な目にあわねばならぬのか。いろいろ考える。

カサンドラとかいうものになるほど、私は自己肯定感弱くない。
でも、配慮するのに疲れてきた。フォローするのも大変だ。
非課税の四兆円は、いつ降ってくるんですかね(空を仰ぐ

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