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父が亡くなった話<7>

一部、豪雨で大変なことになっていたようですが皆さんいかがお過ごしですか。
北東北に滞在中のわたしは、夜間は雨だったものの、あとは風が強いだけでさして外出にも支障はありませんでした。このお話が終わったら、画像記事で報告しましょうかね。

独特の風習

私の実家のある地方は、葬儀は火葬が先なんですね。骨葬というそうです。
流れとしては、火葬の後にお通夜、葬儀なので、葬儀だけの参列者は遺体と対面しないのですよ。湯灌の意義が薄れると言えばそうなんだけど、あれは気持ちの問題だというのが今回判りました。

今回は、それを一日で行うので、通夜はありません。
それと、永代供養の申し込みが済んでいるので、葬儀の後に納骨まで済ませます。
火葬から納骨までが6時間というタイトなスケジュールです。

会館は、火葬の出棺で控え室の使用は終了なので、朝のうちに荷物をまとめ、出棺前に大きな荷物は葬儀会場の隣の遺族控え室に移動させます。
読経を終え、遺影を持ち、玄関前に出ると、
用意されていた霊柩車は、白いリムジンでした。
「明るく送り出すために、白い車を用意いたしました」
とのことで、まぁ車の都合なんだろうけど、うまく言うものです。
湯灌の時からみんな笑顔だし、泣いてる人がいないからなぁ。

火葬場では、父の兄の長男であるD氏と合流。
この古い火葬場、母の時にも利用していますが、
わたしがずっと昔、年の近かった従兄弟が誤飲で亡くなったときに来たときと、全く同じです。母の時と違うのは、売店がなくなってしまったこと。

今回、お菓子や飲み物は私たちが用意したのですが、結局誘導係として会館のスタッフさんがついてきました。お坊さんもいるし、いいんですけどね。もちろん費用が発生します。

相変わらず涙のないあっさりとした空気の中、読経とお別れを済ませ、控え室でだらだら。
お湯とお茶っ葉とお茶セットは用意されるので、思い思いに過ごしていました。
わたしはほぼ寝ていないので、失礼して20分ほど畳で横になっていたけど、やはり眠れず。

わたしが横になっている間に、たばこを吸いに行ったT某とD氏がなにやら会話していたようなんだけど、後からT某に聞いたら、
「一生懸命、判りやすいように話しかけてくれてたんだけど、それでも言葉がわからなかった」
あー、通訳が必要だったか。
今は地方都市でも中高生や20代の人は、普通に標準語でお話しするそうですが、D氏はもう還暦を超えていますからね。
D氏のはかなーりソフトな訛なんだけど、生まれも育ちも関東圏のT某には難しかったようです。

そうこうしているうちに、火葬終了のお知らせ。
五人しかいない収骨、母の時や義父母の時はそれでも、最初は遺族が渡し橋で入れてたのが、今回は一人でつまんで一人で骨箱に入れる形でした。
骨になった父を見てさすがにぎょっとしたけれど、
看護師の妹が、「ここは大腿骨」「ここは骨盤」「ここは頸椎」といちいち解説してくれるので、なんだか勉強会みたいな雰囲気になってきました。
火葬場では定番の「きれいな喉仏ですね」も今回はありませんでした。変な遺族だと思われてたのかな。

収骨の後は、会館に戻って葬儀の準備です。

誰も来ない、受付

今回はもう、母方の親戚には、全部終わってからはがきで伝えようという話になってます。
そのため、新聞での無料のお知らせもパス。家に貼る忌中の張り紙もなし。町内会の人にも知らせていないので、来るとしても、ケアマネくらいです。なので、受付は形だけ。用意した香典返しも、D氏に渡すのと、妹が職場の人に何かもらったらお渡しするために用意しただけで、ここで渡す予定はほぼありません。
始まった後でケアマネが顔を出したので香典返しを渡したきり。直送に近い楽さでした。法要も、四十九日まで一緒に済ませたことになってます。
葬儀のあとは、その足で遺骨を抱え、お寺に出向きます。

お寺の永代供養棟の前に花とお供えを飾り、読経の間に骨が納められます。
ここの永代供養、かごに移した遺骨を、滑車を使って塔内に降ろし、ざばーって注ぐんです。なので、骨壺もいりません。
最後までつきあってくれたD氏とはここでお別れ。完全に、終了です。

もっとハードな感じになるかと思ったけど、やっぱり、参列者に気を遣わなくていいっていうのは楽ですね。一日で終わる家族葬、私たちにはあってました。
あーでも、後から母方の親戚にも教えなきゃいけないんだよな、だるいなぁ。

戦い終えて

一旦実家に戻って、着替えて市街地で買い物した後は、お疲れ様のお肉食べ放題に行き、
翌日の午前中はいける範囲でT某に市街観光をさせ、昼にはT某を新幹線に乗せ、葬儀に関しては一段落です。

葬儀に使われた大量のお菓子と果物が家に運び込まれたので、
これは悩みに悩んで、お菓子はある程度をわたしの職場、あとは関東で留守番している夫に、T某の荷物と一緒に送りつけました。
残りは滞在中にある程度食べ、残った果物とお菓子は、帰りの荷物と一緒に持って帰ります。
お花もお供えもなあ、簡素化でいいんじゃないのかなぁ。ていうか、山のようなカステラ、賞味期限が一ヶ月切ってるんですよね。どうしろと。

そうして翌日からは、怒濤の片付けが待ってます。翌週に、市役所のお悔やみ課に予約を取ったので、それまではわたしも帰らず滞在予定です。
ここ数年、なにかの折にこんなことばっかしてますね。がんばるぞー(棒)

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