映画「あつい胸さわぎ」感想
一言で、AYA世代の女性が若年性乳がんになるも、「自分の内なる問題」に向き合い、受容して生きる話です。「胸」に対する幾つかのトラウマやドロドロ展開はありますが、従来の悲しい闘病・余命映画ではない、明るさ・繊細さ・爽やかさがありました。
評価「A」
※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。
本作は、まつむらしんご監督による“若年性乳がん”と“恋愛”をテーマに、揺れ動く母娘の切実な想いを繊細さとユーモアで描いたコメディ・ヒューマンドラマです。
原作は演劇ユニットiakuの横山拓也氏による同名戯曲で、本作は第35回東京国際映画祭「Nippon Cinema Now」部門に正式出品されました。
・主なあらすじ
港町の古い一軒家に暮らす武藤千夏と、母の昭子は、慎ましくも笑いの絶えない日々を過ごしていました。
小説家を目指し念願の芸大に合格した千夏は、授業で出された創作課題「初恋の思い出」の事で頭を悩ませてしまいます。何故なら、彼女は「とある一言」のせいで、苦い思い出になり、「胸のしこり」となったからです。
夏休み、初恋の相手である川柳光輝と再会した千夏は、再び自分の胸が踊り出すのを感じ、その想いを小説に綴ろうとします。
一方、母の昭子も、職場に赴任してきた木村基晴の「不器用だけど屈託のない人柄」に興味を惹かれはじめており、20年ぶりにやってきたトキメキを同僚の花内透子にからかわれます。
そんなある日、昭子は千夏の部屋で「乳がん検診の再検査」の通知を見つけてしまいます。本人以上に娘の身を案じてネガティブになっていく昭子と、光輝と距離が縮まっていくことが嬉しくて病気なんて考えられない千夏。少しずつ親子の気持ちがすれ違い始めた矢先、医師から「再検査」の結果が告げられます。「初恋の胸の高鳴り」は、いつしか「胸さわぎ」に変わっていき…。
・主な登場人物
・武藤千夏(演- 吉田美月喜)
大学一年生、芸大の文学部所属。母と二人暮らし。とある理由から「初恋」にトラウマがあります。幼なじみと再会し、また胸が高鳴るも…
・武藤昭子(演- 常盤貴子)
千夏の母。工場勤務。夫は千夏が幼い頃に他界。明るくあっけらかんとした性格で、人を見た目や噂で判断しません。一方でズボラな性格で家事や片付けが苦手です。
・川柳光輝(演- 奥平大兼)
千夏の幼なじみで初恋の人。俳優志望で芸大では演劇コースに在籍しています。
・花内透子/トコ(演- 前田敦子)
昭子の同僚で友人。あけすけな性格で恋に奔放。武藤親子とは家族ぐるみの付き合いがあります。
・水森崇/ター坊(演- 佐藤緋美)
千夏と光輝の幼なじみ。軽度知的障害(恐らく)があり、高校卒業後も中々仕事が決まりません。普段はティッシュ配りのバイトをしつつも、本当はサーカスで働くことを望みますが…
・水森麻美(演- 石原理衣)
崇の母。知能の遅れで就職が難しい息子を危惧し、いつも悩んでいます。サーカス会場のオフィスに乗り込むなど、行き過ぎた行動を取ってしまいますが…
・木村基晴(演- 三浦誠己)
昭子とトコの職場に赴任してきた係長。ASD傾向(恐らく)があり、「空気を読めない」故に、行動が色々と裏目に出ます。赴任理由について、「とある噂」を立てられていましたが…
・検診の医師(演- 矢柴俊博)
千夏を検診した婦人科の医師。
1. 「AYA世代」と「若年性乳がん」とは。
本作は、「若年性乳がん」になった女子大生が主人公です。千夏は18歳で、丁度「AYA(アヤ)世代」と呼ばれる年齢層にあてはまります。
まず、「AYA世代」とは、Adolescent&Young Adult(思春期・若年成人)のことをいい、15歳から39歳の患者さんがあてはまります。小児に好発するがんと成人に好発するがんがともに発症する可能性がある年代です。(下記、国立がん研究センター中央病院サイトより引用。)
また、「若年性乳がん」は,AYA世代の中で20歳代から増加し始め,30~39歳においては最も多くなります。しかし,乳がん患者さん全体からみると「約5%」の割合であり,患者さんの絶対数としてはとても少ないのが現状です。(下記、日本乳癌学会サイトより引用。)
私自身、乳がん検診を受けたことはあるものの、「AYA世代」については殆ど知識がありませんでした。近年、著名人の方が「公表」されるなど、メディアで取り上げられたことで知ったような感じでした。
ただ、偶然近くのミニシアターで本作の上映があり、ポスターが何となく目に留まったので鑑賞しました。結果、期待値は高くなかったけれど、かなりの良作でした。上映館が少ないのが勿体ないくらいでした。
ちなみに、本作のタイトルについて、サザンオールスターズの楽曲『熱い胸さわぎ』と「同名」ですが、内容は全く別物です(笑)。
2. テーマは重いのに、何故か明るい映画だった。
本作を観て最初に感じたのは、「テーマは重いのに、何故か明るい」という点です。
作風は、「1/2コメディー、1/4シリアス、1/4ドロドロ」なバランスですね。とにかく情景やBGMがポップで明るく、「がんの話が出てくるのに、重苦しくなく、悲しみには浸らない」です。
このような「若い人ががんに罹患する」という話、一見すれば「闘病・余命映画」だと捉えがちですが、本作はそうではないです。従来の作品に多く見られた涙を誘うような内容ではなく、寧ろ、ささやかな恋愛と、母娘の固く結ばれた絆と、皆の「胸に対するトラウマ」を乗り越える過程を、重苦しくせず、かといって過度に茶化さず、がんの足音を少し伝えつつも、そこに日常のユーモアとコメディを交えて絶妙なバランスに描いています。上映時間も「93分」なので、サクッと見れますね。
一方で、こういうテーマを扱うと、「感動ポルノではないか?」という批判があると思いますが、本作はそうではないと思います。
本作は、上記で述べたように、如何にも「悲劇的なお涙頂戴」内容ではないし、登場人物達も下手に「聖人化」はしていないからです。
勿論、この「感動ポルノかどうか」の線引きは非常に難しく、人によるとは思いますので、私の考えが全て正しい訳ではありません。
後は、『コーダあいのうた』や『桜色の風が咲く』でも思いましたが、やはり、「人が亡くなる」話よりも、「生きる」話の方が良いです。最近はそういう作品が増えているのは良い傾向だと思います。
3. キャストの演技が良く、俳優の良さをきちんと引き出せている。
本作、キャストの演技が良かったですね。きっと監督の指導が上手かったのだと思います。
千夏役の吉田美月喜さんは『今際の国のアリス』や『ドラゴン桜』などの話題作への出演が目立ち、本作でもフレッシュな演技が光ってます。「新生活や恋に心踊らせるも、病気に心が揺れ動く女子大生」という難しい役どころでしたが、一方で「こういう子いるな~自分も似たようなところがあるな~」と思えるような「親近感が湧く」点が良かったです。実際、吉田さんが18歳時に撮影されたそうなので、本当に「等身大の演技」が伝わりました。
昭子役の常盤貴子さんはすっかり「お母さん役」が板についてますね。昭子は明るくあっけらかんとした性格ですが、一方で自分の芯を強く持っています。木村係長に「とある噂」が立てられたときも、周囲の話を鵜呑みにせず、彼女なりに彼のことを知ろうと試行錯誤した点が良かったです。
木村係長役の三浦誠己さんも千夏とは違った意味で難しい役どころでしたが、「実直」と「周囲とのズレ」の2つのバランスを絶妙な位置で取られていました。だから、最初は「?」と感じる点があっても、わかっていくうちに「こうか〜」と納得できるようになりました。
光輝役の奥平大兼さんはシリアスな作品の出演が多いです。千夏と光輝は見てて絵にはなるので、淡い期待を抱いてはいたんですが、映画『マイスモールランド』の崎山聡太くんみたいになるのかと思いきや…ここは良くも悪くも「裏切られ」ましたね。※嫌な意味ではないです。
トコ役の前田敦子さんは、今回は頼もしくも一方で結構「トリッキー」な役でした。小顔な点や華がある点は、流石トップアイドルだっただけありますね。
ター坊役の佐藤緋美さんは、かなり難しい役どころでしたが、とても良かったです。一番印象に残ったかもしれません。ラストの「オッパイ有り無しで正の字アンケート?」で一番笑っちゃいました。思わず、「もぅ、ちゃんと仕事しなよ!(笑)」と、千夏と一緒にツッコみました!
彼は浅野忠信さんとCHARAさんの息子さんですが、今年でも既に3作くらい見かけました。独特の雰囲気があるので、売れっ子になりそうですね。
4. 日常生活の描き方がとても自然だった。
本作は、「乳がん」について描きながらも、ベースにあるのは千夏の日常生活です。
まず、導入と終盤の見せ方が良く、自然で印象に残りました。朝食にて食パンを毎日焦がす昭子、爽やかな風と波の音とカモメの鳴き声が聴こえる海辺の街、晴れやかな表情で自転車で坂を下りる千夏など。
また、武藤親子はとにかくズボラさが目立ってます。前述より昭子はよくトーストを焦がしますが、千夏も互角、いやそれ以上かもしれません(笑)部屋はぐちゃぐちゃで服も布団も畳まず、問題になった大学の健康診断も昭子に見せず、机の上に放置して教科書やパソコンの下敷きになって存在を忘れていました。
後は、パソコンの変換予測に彼女の「趣味」が現れてました(笑)。「水樹奈々」が好きなのかな?
そして、千夏とトコはよく「デート」し、千夏は母に言えないこともトコに相談します。カフェにて、「オッパイパン」を見てツッコむトコさんには笑いました。まぁ、この手の商品は沢山ありますよね。プリンとか。
5. 母娘の「胸騒ぎ」、やはり「似たもの親子」。
作中にて、武藤親子は、それぞれ「胸騒ぎ」を経験します。千夏→光輝、昭子→係長のフラグが立ちそうになり、親子はどちらも「恋がはじまる」予感に浮き足立ちます。
千夏は、18歳という年齢故に、自分のことは自分で決めたい自立心が強くなります。何となく家での居心地が悪く、口うるさい母のもとから離れたい。とにかく一人暮らしがしたくて、光輝と物件を探します。光輝からの過去のからかいを苦々しく思うも、カッコよさと頼もしさから何となく惹かれていきます。
昭子は、職場の新上司の「奇行」に引っかかりつつも、人の噂を鵜呑みにせず、「自分の目」で見て判断しようと試みます。色んなことがわかって、「実直」な上司に亡夫の姿を何となく重ね、惹かれていきます。
この辺の母娘の「胸騒ぎ」を見ていると、やはり「似たもの親子」なのかなと思いますね。
6. 初恋の思い出・少女期のトラウマは共感できる点はアリ。
千夏は、「初恋の思い出」にまつわる話を書こうとしますが、初恋の思い出・少女期のトラウマにぶち当たり、悩んでしまいます。
まず小学生時代、友達と水を掛け合って遊びました。しかし、千夏はブラジャーを母に買ってもらえず、濡れて体が透けるのが嫌だとその輪に入れませんでした。
また中学生時代、光輝の「お前、胸デカくなった?(笑)」の一言で傷つき、それを心の何処かで引きずってしまいます。
なんかここが「シコリ」になったのわかります。これを「乳がんのシコリ」と重ねているのも上手いです。トコさんからは「繊細だねぇ」なんて言われてました。しかし、傷つくのもわかります。私の場合は「ない」方でしたが(笑)。勿論、光輝に千夏を傷つけたつもりはないかもしれないけど、やはり、一番怖いのは「悪意のない」言葉なんですよね。
7. 女性として出てくる問題についても、本人の意志や覚悟が求められる。
本作では、千夏が「がん」になったことで、女性として出てくる問題にぶち当たるシーンがあります。 健康診断で「要 再検査」となり、千夏は婦人科にて検査を受けます。その結果はやはり「陽性」でした。医師曰く、「今のところ『目に見える変化』はないけれど、長く付き合う必要があります」と。
まず、検査については、今はマンモグラフィーや超音波検査など、色んな手法がありますが、千夏のような若い世代の方が中々受ける機会はないですよね。ある意味、大学の検診で「早期発見」ができたことは良かったです。
しかし、医師から「妊娠出産の希望(放射線治療の影響を懸念して)」を聞かれ、彼女は戸惑います。「恋愛よりも遥かに先のことなのに、もう決めないといけないの?まだ交際もしていないのに。」と。
この辺は、映画『リトル・ガール』でも医者から「当事者」に妊娠出産に対する説明があったのを思い出します。あちらは、「トランスジェンダーの少女」でしたが。いずれにせよ、「性」に関わるデリケートな部分だからこそ、本人が自己決定し、覚悟を決め、周囲もその意志を尊重することが大事だということが伝わりました。
8. 母として、女として、親子の言い合いや悩みには涙する点あり。
自分の体のことがわかってから、千夏の気持ちはどんどんグチャグチャになっていきます。
まず係長の「引率」で、武藤親子・トコ・光輝は町に来たサーカスを観覧しますが、ショーの最中に見たピエロと、婦人科にあったピエロのやじろべえが重なり、フラバを起こしてしまいました。
また、昭子は千夏に「がんは悪いものだから取らなきゃダメよ。」と話しますが、千夏は首を縦には振りません。告知された直後は「おっぱいなくなっても恋できるのかな?」と不安げなんですが、徐々に怒りへと変わり、「おっぱいなくなったら、私は女じゃないの?もう恋もできないの?そういうお母さんはあの上司に『お熱』じゃん!何でよ、私は邪魔なの?お父さんのことは忘れちゃったの?」と心がグチャグチャになっていきます。
そして、とうとう「お母さんに胸を食われる」とパソコンのワードに書き殴ります。これは、「お母さんに気持ちを押し付けられている!私の体の問題なのに。」という心の叫びがメルトダウンしたのでしょう。
10代の思春期故に、ただでさえ親子関係は難しいのに、そこに病気が入り込んできたから、余計にややこしくなってしまいました。自立したい娘と心配のあまり過保護になる母。愛情や優しさはわかっていても、お互い心がすれ違い、傷つけてしまうことはあるんですよね。
さらに、千夏は「トコと光輝の関係」を知ってしまい、今まで胸に抱いていた思いが崩れていくのを自覚します。
そんな「泣きっ面に蜂」な状態で帰宅した後に、「文章」を母に見られてしまいます。二人は大喧嘩してしまい、千夏はそのまま家を飛び出します。
いなくなった千夏を見つけたのはトコでした。千夏はトコから逃げ出し、海の方へ向かおうとしますが、トコは千夏を抱きしめ、「悔しかったら胸張れるような大人になりや!」と叫びます。トコ、10代の青年に手を出したことは許されることではありません。(このことは昭子は知らない。)しかし、トコと千夏はここで漸くお互いの気持ちをぶつけ合えたのかもしれません。これが「良いやり方」とは言えませんが。
一方で崇の母の麻美は、息子の将来をとにかく悲観してしまいます。サーカスが好きで働きたい崇ですが、履歴書を何枚書いても通りません。「このままではこの子はどこへも行けない…」、そんな感情が爆発して親子でサーカス団に押しかけてしまいました。
娘を探す昭子と、息子のことで泣く麻美。「崇は何で千夏ちゃんや光輝くんじゃないんだろう?『普通の子』なら、こんなに悩まないのに…どうしたって私のほうが早くに亡くなるんです、そしたらあの子が本当に心配で…」
そんな麻美に昭子はこう伝えます。
「麻美さん、大丈夫や。もういつまでも『子供』やないで。崇くんは崇くんの道を歩いているよ。」と。
勿論、この言葉で全てが解決する訳ではありません。でも、人を傷つけるのも「言葉」だけど、人を思いやれるのも「言葉」なのかもしれません。
9. 所謂「理解のある彼くん/彼女さん」作品ではない!そんな所も現実らしい。
本作は、皆が皆色んな問題を抱えていますが、それらを「理解できる存在が現れる」作品ではありません。でも、そんな所も現実らしかったです。
まず係長の「赴任理由」について、周囲からは「婦女暴行疑惑」を噂されていましたが、実はそれは違いました。
ある日熱中症で倒れた女子社員、彼は救急車を呼び、救急隊員が来るまでスマホで話しながら「一人」で心臓マッサージをしていたのです。しかし、彼女から訴えられてしまい、結果「左遷」されてしまったと。所謂、「冤罪」でした。しかし、彼はそのせいで「うまく負ける、諦める」癖がついてしまったとも話します。
係長は昭子と話す中で、「彼女のブラジャーを外したことが良くなかったし、女性社員に手伝ってもらうべきだった。」と反省します。これは男女の性差があるからこそ起きてしまった悲劇ですね。そして、「人助けは一人でしない」ことへの教訓ではあるけれど。
また、係長と昭子と千夏は、紆余曲折あってカニを食べることになります。親子の状況を知った係長は、自身の経験から「世の中、『上手に負けること』があってもいいんじゃないか」と言葉をかけますが、千夏は「病気に対して?」と引っかかってしまい、その場がギクシャクしてしまいます。
うーん、この言葉って難しいです。係長の言葉は「間違っていない」し、千夏を「傷つける」つもりはなかったのはわかります。せめて、「気持ちに折り合いをつけられたら…」と言えてたらまだ収まりがついたのかもしれませんが…彼の「言葉のストレートさ、言葉選びの下手さ」が出てしまったのが歯痒いです。
その後、係長は昭子に「実は前の会社で自分を庇ってくれた女性社員がいた、でも自分は戦わずして『逃げてしまった』。」と話します。だから、「自分はその人に思いを伝えられるように、この職場で胸を張って仕事をし、結果を残したい。」と思いの丈を伝えました。それを聞いて、昭子は「今彼に必要なのは自分じゃない」と感じ、もう彼とはプライベートでは会わないことを誓います。
そして、千夏も光輝を「吹っ切って」、気持ちを切り替えます。「初恋の思い出はこれで終わり」、でも光輝とは「友達」なのは変わらない。自分は今後恋をするかどうかはわからないけど、前に進みたいと決意を新たにします。
結局、どちらもお互いが「振った振られた」となる前に関係が終わっていますが、自分達の中で気持ちにケジメをつけたことが、次に進むステップとなったのでしょう。
そして、千夏と崇のエピソードも印象に残りました。千夏が母もトコも光輝も信じられなくなって心がグチャグチャになったときに、そこに来た崇。しかし、千夏は彼の「行動」に爆発して、暴言を吐いてしまいました。しかし、ハッと気づいて追いかけて泣いて謝ります。
そこからの「オッパイ有り無しで正の字アンケート」、彼は千夏の状況を「理解」してはいないと思います。でも、崇は千夏を彼なりに気にかけていたのでしょう。
本作は出来事に「最適解」を出せる人はいません。また、皆何かしら「加害性」を持っています。しかし、それを「否定せずに受容して生きる」のも人間だと思います。
最後にラストの親子の会話にて、昭子が「気づかなくてごめん。何度も話して悩もう。そんであんたが…自分で答えを出しや。」と千夏に伝えます。漸く、ここで二人の気持ちが重なり合ったのです。千夏はもう大人だからこそ、自分のことは自分で決められる。それを昭子も受け止めようと決意したのです。
これって、病気や障害など「外側に理由を求める」ではなく、「自分自身の内側の問題」に向き合い、折り合いをつけて生きていくことなんですよね。
まぁ、こんな狭い世界で皆出会うのか、といったツッコミはありますが、そこは良いでしょう。
また、一部のキャラ設定や「ドロドロ」展開には賛否両論あると思いますが、私自身はそこまで不快にはなりませんでした。
10. 「がん」への認識が徐々に変わりつつあるからこそ、伝えられるメッセージもあるのではないか。
一部のレビューで、「こんな明るく描いていたらがんの怖さは伝わらないのでは?」という意見はありました。
確かにそれには一理あります。ただ、そういった作品は今までも沢山作られていて飽和状態です。
「がん=死」から「がんを生き抜く」時代になった今だからこそ、伝えられるメッセージもあるのではないかと思います。
もうほぼ上映は終了していると思いますので、口コミ貢献は出来ていませんが、もしご覧になった方がいらっしゃいましたら、何かご感想を聞かせてくださると嬉しいです。
出典:
・映画「あつい胸さわぎ」公式サイト
https://xn--l8je4a1a7e6m7952c.jp/
※ヘッダーは公式サイトより引用。
・映画「あつい胸さわぎ」公式パンフレット
・映画「あつい胸さわぎ」Wikipediaページ
・AYA世代のがんについて〜国立がん研究センター中央病院
・日本乳癌学会 患者さんのための乳癌診療ガイドライン2019年版「Q61.AYA世代の乳がんには,どのような特徴がありますか。」https://jbcs.xsrv.jp/guidline/p2019/guidline/g9/q61/