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マインドフルネスコーチへの道 Vol.3   女性も自分でキャリアを選択する時代

ー今日の内容ー マインドフルネスコーチへの道 Vol.3
・「他者に人生を任せない」決意をさせた家庭事情
・自分で自分を幸せにする力をつけるということ
・女性も自分でキャリアを選択していく時代を生きる
・いい大学に入れば人生は薔薇色?そんなことなかった!

宝塚の世界の厳しさを知った私は、すっかり意気消沈。
「自分が輝ける場所は、もしかしたら他にあるかもしれない」
そんな一縷の希望を抱き、高校3年生6月から進路を大学進学に切り替え
受験勉強に励むことにしました。

ちょうどその時期、青天の霹靂とはこのことかとでも言うべき
とんでもない出来事が起こりました。
学校の先生から授業中に呼び出され、何事かと思ったら、
父の経営する店舗にトラックが激突するという事故があったとのこと。

幸い、祖父も父も店の奥にいたため、
怪我など重体には至りませんでしたが、この事故を境に経営が悪化。
父は長年家業としてきた事業を手放すという決断をすることとなりました。

店舗の上の階に住んでいた私は、
幼少期から当たり前に育ってきた家が査定にかけられ、
知らない大人が家に入ってきて値踏みされることは恐怖でしかなく、
この経験から「強者にならないと奪われる」という
脅迫概念にも近い感覚が自分の中に目覚めるのを感じました。

この時期、毎晩喧嘩が絶えない両親を見ながら、
受験勉強をしなければならず、
学校では受験勉強でピリピリする人間関係、
家庭では両親の口喧嘩という板挟みのストレス状態で、
早くこの狭い世界から離れたくて仕方がなかった。

静岡の田舎育ち、かつ昭和的な考え方の母は、
「女性は男性を支えるもの、離婚はしてはいけないもの」という考えを
強固に持っており、私がいくら「離婚すればいいじゃない」と言っても
聞く耳を持ちませんでした。

その不自由さは側から見ていても苦しく、母を反面教師に
人生何が起こるかわからない。
だからこそ、他者に人生を任せないで「自分で自分を幸せにする力」をつけよう。女性も自分でキャリアを選択する時代を私は生きていくんだ。

と、今思えば小さな決心を、私はここでしていたのだと思います。

通っていた中高一貫女子校も偏差値主義の学校だったので、
偏差値が高い大学に行く人は将来が約束された模範生、
そうでない人はその他大勢といった雰囲気があり、
高校3年生で私立選抜コースにいたクラスメイトも
友情にヒビが入るほどの緊張状態に。

それでも地道な受験勉強のおかげで、
私はとにかく親元を離れられる東京で、
いい大学いい人生論信仰者の親が納得してくれるレベルの大学で
第一志望ではありませんでしたが、とりあえず進学。

でも、その選択が後に大失敗という結果になります

👉次回は「空っぽだった学習院というブランドのバッグ」


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