マインドフルネスコーチへの道 Vol.4 空っぽだった学習院というブランドのバッグ
静岡から親元を離れ、東京で憧れの大学ライフを送るようになった私。
でも、偏差値ベースで大学を選んだため、専攻に全く興味が持てず
(フランス文学を3年もやって唯一覚えているのは、
ポール・エリュアールのLiberteという自由を謳う詩のみ)
アルバイトに明け暮れたり、サークルの部室でぼんやり過ごすという日々。
短期の語学留学でパリに行ってみたり、
ダンスのクラスの仲間でダンスコンテストに出場したり、
それなりに楽しみはありました。
でも、高校生時代の明確な目標を持って
日々やることに夢中になっていた自分と比べると
目的もなくぬるま湯に浸かっている自分に
どこかで気持ち悪さを感じるようになっていました。
そんな私が大学生活で唯一面白いと思ったこと。
それは、ミス学習院のプロモーションビデオ制作。
所属していた映画研究部では、
毎年部員がミスコン出場者のプロモーションビデオを担当していました。
各部員が候補者の動画を撮影編集して作り、
ミスコンの会場で投影する一人10分程度のアピール動画。
候補者の人柄や魅力、価値観を伝える選考を左右する大切な動画です。
大学3年生時、その中の一人を担当することになり、
インタビューから撮影、編集までを担当しました。
とても顔立ちの綺麗な方だったので、すました感じのカットより
お菓子作りなどちょっと温かい人柄を感じるような場面を作ったり
彼女の持つ甘い雰囲気の出る楽曲選びをするなど、細部まで戦略的に工夫。
その結果、担当した方がミスコンで優勝!
もしも動画が役に立っていたらそんな嬉しいことはないと思いながら、
ミスコンの会場を後にする生徒たちを見ていると、
私が動画内で使っていた楽曲を口ずさみながら帰っていく人が。
自分が時間をかけて、想いを込めて作ったものが
誰かの記憶に残るってとても素敵なことだなと思う
きっかけになる出来事でした。
これがきっかけとなり、
自分が表舞台に立つのではなく、
「戦略や表現を使って、何かの魅力を伝える仕事が面白そう!」と思い、
広告業界や出版業界を考えるように。
でも、正直これはかなり遅かった。
どちらの業界も想像以上の激戦区だったから。
広告はそもそも学閥や各大学の広告研究会などで
ネットワーキングをしている人が多く、
出版も試験対策を1年生から受けている人、
賞をとったり一芸に秀でているなどユニークな人がとても多かったのです。
この業界に行きたいのであれば、
もっと早くから準備をしなければいけなかったのだ・・・
面接会場で、周りの学生とのグルコン中、
そのことに気づいた私は呆然としました。
そして、もう一つ大事なことに気づいたのです。
「学習院という、ちょっとしたブランドのバッグを得た気持ちでいたけれど
そのブランドのバッグを開けたら、中身が空っぽだった」ということに。
高校生の私は、
いい大学に行けばいい人生が得られるのだと漠然と思っていた。
でも、そんなことなかった。
自分の価値というのは、いい大学に行けば得られるものなのではなく
その中で自分で創らなければならなかったのです。
もちろんボーッとお花畑のように過ごしていた私に
希望していた業界からは内定は出ず、
それでもいくつか興味のある会社から内定は出たものの、
今度は「いい大学、いい人生」信者の親からOKが出なかった・・・
学校もどんどん難しくなり、フランス文学に
興味がないので全くついていけない・・・
仲の良い親友と思っていた友人からいきなり縁を切られる・・・
など、色々なトラブルが積み重なり
気がついたら、大学に退学届を提出していました。
どこか遠い、親元を離れた
誰も私を知らないところで人生出直したい。
そう。海を超えて、宗教も文化も違う国で
私は私をやり直すんだ!
次回はこちら👉「軍隊上がりの先生に性根から叩き直された話」
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