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【千癒/エッセイ】出雲大社の願い事が叶った話(私が成長する話①)

初めて訪れた、出雲大社にて。
『私の願い事は…』


それから数ヶ月後。

「ねぇ、よかったらここで働かない?」

急展開で、私の願いが叶いました。


【はじめに】

こんにちは。千癒です。
今日は過去の話を書こうと思います。

2週に分けて、書くつもりです。
私の、当時の、大切な想い出です。


【22歳、ポンコツ時代の、サービスマン】

22歳。冬。
そのとき私は、
第二新卒の契約社員の立場で
サービスマンとして、働いていました。

新卒で入社した会社を
半年で早々に退職してから、次に見つけた仕事。

何のスキルも知識も無く、
先回りの行動や、気遣いが出来るわけでも無く。
重要な人達の”顔”を覚える事も苦手で。

私はただの、”ポンコツ”でした。

私の上司的な立場の方は辞める予定のため
そのポジションの知識を
しっかりと引き継ぐ必要がありました。

都会的で、若くて、こなれていて、
スマートな上司とは違い

私は、お酒も料理も、理解出来ていない。
身だしなみも、
サービスマンとしての身のこなしも
ぎこちない。不安定。
全て、マイナスからのスタートでした。

職場の人たちは、絆や信頼関係があり
とてもアットホームな環境でしたが、
逆にその雰囲気に馴染めず毎日、苦しかった。

正社員ではない、サービス接客業という
社会人としては特殊なポジションだったので
社員としての自覚も、低かった気がします。

料理人の先輩との出会いは、この職場でした。

【23歳、ポンコツなりに、誠実に】

辛かったけど、休まずに出勤し。
居づらかったけど、黙々と仕事をして。

怒鳴られたり、呆れられたりしてたけど。
家と職場の往復ばかりで虚しくなったり、
仕事中に号泣する日も少なくなかったけど。

それでも休まず、働いていました。

入社して数ヶ月、年齢の近い子が
気にかけて話しかけてくれて。
だんだんと仲良くなったことで、
他の人とも話せるようになり。

怖かったシェフや料理人の人達とも
少しずつ、少しずつ打ち解けていきました。

料理人の先輩とも、少しは話せる関係になり
『志の高い人』ということは理解していました。

ただ、同じ職場だったとき、
そこまでじっくり話す機会もなく。
仕事の合間で交わす程度の会話くらいしか
したことはありませんでした。

【24歳、ポンコツからの、脱却。】

このとき勤めていた職場では、
毎月『わたしが感じたこの人の素敵話』を
メンバーに共有する文化があり。
共有後、相手に手紙として渡していました。

料理人の先輩が、職場を卒業して
海外へ料理の修行に行くことになり、
退職のときに、
みんなに『素敵話』を配ってくれました。

その時の手紙を、抜粋します。
※手紙の女将=千癒です(あだ名)

【明るさ、真面目さ、前向きさ】
あなたの悪口を言う人は、世の中にいないんじゃなかっていうぐらい、多くの人に好かれるタイプだと思うよ。俺は、働きやすかった。

女将の夢はなんだっけ?そういう話してないから分からないけど、頑張ってね。俺は夢に向かって全力で走っていくよ。

もしも、女将がサービスマンになるなら、俺の店で働いてもいいよ。実力なければクビだけど。笑
とにかく、今までありがとう。

サービスマンとして、未だポンコツでした。
ただ、私の誠実さは
志の高い料理人の先輩にも、伝わっていた。

そこまで仲良くしていたわけでは無いのに
見てくれていたことに、感動しました。


自分が何者になりたいのか、
まだわからないけど。
この先輩に認められて、また一緒に働きたい。

この『素敵話』のメッセージを受け取って
そう強く思いました。


そこからの私は、
社員としても、サービスマンとしても、
プランナーの立場としても成長していきました。

マルチプレイヤーとして努力し、
営業成績も会社の上位10位以内になったり。
契約社員から正社員になったり。

多くの人に叱咤激励、支えられて、
成長していきました。

きっかけになったこのメッセージは、
私の初心として、今でも家に飾っています。

【28歳、時が経ち。私の願い事】

私も数年後、職場を辞めて
違う仕事をしていましたが、ジャンルは違えど、
同じサービス・接客のお仕事をしていました。


そして、人伝に、料理人の先輩が帰国し
独立してお店を開く事を知っていました。

偶然にも、
自分の職場から近いところに出店するとのことで
いつか機会があれば行きたいな、と
漠然と思っていました。


出雲大社に行ったのは、この前後くらい
だったと思います。

ついに、料理人の先輩が開業する。
関係ないのに、何故かワクワクしていました。

出雲大社の願いは叶うことで有名。
恋愛もしていなかった時期なので
そういう願い事にしたら良かったのに。
私が願った事は

『先輩のお店で働けますように』
というものでした。

振り返ると、料理人の先輩と
大した関係性もないのに、
辞めてから数年も経っていて
連絡先も知らない先輩の元で働きたいなんて
なんとも不思議な願い事をしたものです。

【28歳、先輩からの一言で。】

夏頃に出雲大社へ行き、数ヶ月。

当時の職場仲間から誘われて
料理人の先輩に何も言わずに、予約し
お店に行きました。

背筋を伸ばして、
だいぶ背伸びしないと入れないお店の雰囲気。

平日の昼間だったので、
そこまでお客が多く無かったことが
こちらとしては緊張もほぐれて助かりました。

美味しい素敵な料理を堪能した後、
シェフがご挨拶に来てくれる、という時に
ネタバラシのように、
当時一緒に勤めてた後輩です!とこちらも挨拶。

料理人の先輩は、
一瞬ビックリ&記憶を辿るような雰囲気で。

『やば、忘れられている?!』
と一瞬焦ったものの、すぐに思い出してくれて

「あー!女将じゃん!久しぶり!
行ってくれたら良かったのに!!」

と、打ち解けた空気で話してくれました。
※手紙の女将=千癒です(あだ名)


今、こんな仕事してます的な話を伝えたのち、
先輩から突然。

「ねぇ、よかったらここで働かない?」

こう言われたのです。
「凄く、接客態度が良かった印象がある」

何年も前の私の態度を覚えてくれていて、
こう言ってくれました。
私のサービスマン・接客の基礎の心に
自信を持たせてくれた、最初の人
それが先輩だったと、
このとき改めて思いました。


退職の時の、『素敵話』のメッセージを
覚えていなかったと思います。
※実際、後から伝えたけど覚えてなかった笑

でも、あの時の言葉を改めて、
肯定してもらえたような気がしました。


表のサービススタッフが1名で対応していて
満席の時など人手が足りない日に
時々”お手伝い”という形で関わることになりました。

たまたま、食事に行ったことをキッカケに
私の願いは数ヶ月で叶えられました。

〜当時の自分のメッセージ〜

mixiにはこの1ヶ月前の時期に
「働きたいなぁ〜」という想いが綴られていました。笑
当時の私、本当に望んでいました。


出雲大社が凄いのか私が凄いのか⁈
わかりませんが(笑)
私の人生で
とても印象に残る出来事になっています。


この時に出会った
サービスマンのプロの先輩から
私が認められるまでのお話
を次回は書きます。

【最後に】

自分語りのため、時系列含めて
分かりにくい箇所も多かったかなと思います。

来週も続き物として読んで頂けると嬉しいです。
引き続き、よろしくお願いします。

稲葉千癒🍀

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