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当事者って「誰」なんだろう。

30も後半に入った頃からだろうか?当事者という言葉について、ずっと考え続けている。

当事者っていったい「誰」なんだろう。
当事者には「なる」ものなのだろうか。

人はどんな時に、当事者として自分自身を認識するのだろうか?

例えば、私たちは政治や環境問題の当事者だけれど、自分たちは当事者だと意識している人はどれくらいいるのだろう。

「ほんのちょっと当事者」は、性暴力や介護、親の看取り、体罰、いわゆる社会問題について、著者の体験・経験をもとに語られた本だ。

私も経験したことがあるなあ、友達または友達の友達がそういう経験をしたって聞いたことあるなあ、と思い浮かべながら読み進めた。

自分からは遠いと感じていた、新聞に載るような大文字の困りごとが、青山さんの経験を通じて本音で語られることで、「これ、自分にめっちゃ関係あるやん!」と感じ、自分の中でふわふわしていた当事者という言葉の輪郭がつかめたような気がしてきた。

わたしは「変わる」ことができるのか

一番印象に残ったのは、障害について語られた章だ。当時小学5年生だった著者は、聞くこと・話すことに障害のある竹原君と同じ班になることを、「行動を共にすることが大変だから」という理由で拒んでしまった。

一方で、35年前に意図して困りごとを抱える人を遠ざけようとした著者は、今、彼らと一緒に時間を過ごしたり話したりしたいと思うようになった。でも、自分が大きく変わったという自覚はない。

人は1人では生きられない。周りの人に支えられ、関わりをもちながら生きている。そんな時間の積み重ねが影響して、人は知らないうちに変わる。

といった、一般論以上のなにか特別なエピソードを持ち合わせているわけでもない。

小学5年生の私には、竹原君が「面倒な存在」に感じた。
いまのわたしは、なんとういうか、彼を面倒に思わなくなったというより、自分自身もまた面倒な存在だと自覚するようになった、そんな気がしている。(中略)そう思うほど、私自身が幾度となく、「面倒な存在」になってきたのだろう。あの日、あのとき、誰かに助けてもらった、といった強い思い出があるわけでもないが、なんとなく、わたしも許されて生きてきたもんなあ・・・

そして、話は大空小学校のエピソードに続く。

大空小学校は、「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念を掲げ、2006年に大阪で創設された公立小学校だ。さまざまな理由からほかの小学校に通えなかった子どもと一緒に引っ越しをして、大空に通わせる親も少なくない。初代校長の木村先生の在任中(9年間)、特別支援の対象とされた児童は50人を超えている。それなのに、不登校ゼロ。ちなみに大空小学校は特別支援学級を設けいていない。詳しくは、みんなの学校を見てもらいたい。

その大空小学校を卒業して中学校に進学した子どもたちが、当時の木村校長先生に相談にきた時のお話が忘れられない。

彼らと同じ中学校には、知的障害と自閉症の診断名を与えられていたある男の子が一緒に進学していた。彼は涎を垂らし、教室内を「アー」と言葉にならない声を挙げながら走り回ったりする。大空ではそんな子が同じ教室にいるのは「当たり前」だ。彼がなにをしていても、自分たちが勉強に集中すればいいだけと知っているので、全く気にしない。もし助けを求めていそうなら、自分にできる方法を考える。 
  でも別の小学校から上がってきた子のなかには、「なぜこんなアホなヤツが自分たちと一緒の教室にいるのだ」と、批難の言葉を投げる子がいる。(中略) 彼らはこう指摘した。友達を排除しようとする子が「ものすごく不幸だ」と。このままだと、彼らは不幸なまま大人になってしまうだろう。そうならないようにするには、自分たちになにができるのだろうか。
大空小学校の子どもたちは、誰かを排除するという発想をもつ子は、その子自身が「困っている子」であることを感覚的に学んでいる。同じ場所にずっと一緒にいるから肌でわかる。(中略)そのままでは、「誰かを排除して生きる子ども」が「不幸な大人」になるだろう。彼らはそのことを危惧していたのだ。

私たちがもつ困りごとは、みんなそれぞれ違っている。でも、困りごとをもっていること、困りごとをもつ可能性があるということはみんな同じで、当事者ではないだろうか。

困りごとを抱えた誰かは数日後、数年後の自分かもしれない。困りごとを抱えた人を排除するのではなく、どうしたら共に生きられるかを一緒に考えること。きっとそのために私たちは、社会に出る前に学校で(共に)学ぶし、死ぬまで学び続けるのだろう。
そして共に学んだ、生きたという日常の積み重ねこそが、未来のための事実を作っているという著者の言葉を信じたいと思う。

でも、全ての困りごとに対してアクションを起こすことは難しい。グレタさんにも、今はなれそうもない。だからこそ、せめて、困っている人の気持ちを想像することだけはやめたくない。

当事者という言葉が大きすぎるなあ、と感じる全ての人に読んでほしい本です。


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