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旅の記憶 ちひろの行き当たりばったり旅記録⑦

1/8-14 Kiev Ukraine🇺🇦 part2
チェルノブイリ&プリピャチ

桜の枝 ー 煙の美女
この枝に歩み寄って 優しく抱きしめる
チェルノブイリから 宜しくと伝えておく
桜が息で返事をする
全世界が悲しみに暮れ 皆が心配になり
祈りが天国まで響く
その中に私たちの声 私たちはあなたと共にいる
桜 ー 私たちの姉妹
傷が癒されるように 祈りを捧げている
諦めないで!
あなたの兄弟 キエフの栗の木より

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福島第1原発の今、を知っていますか?
私は情けない事に全然知りませんでした。

この旅で絶対行きたかった場所。1月にもう一度ここに来た最大の理由はチェルノブイリに行くこと。
唯一の被爆国であり、原発事故も起きてる日本で生まれた人として、チェルノブイリは絶対に行きたいと思っていました。

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まずはチェルノブイリ博物館に。
とてもとても小さな博物館です。2階建て(でもほぼワンフロア)、面積もそんなに広くない。
でもその中にたくさんの過去と現実が詰め込まれていました。
チェルノブイリ博物館に入ると、真っ先に見えるのはウクライナ人のお人形さんがウクライナの民族衣装と私達の民族衣装を着て立っている姿。天井には鯉のぼりや提灯、桜が。

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一階のブースは全てフクシマ。
冒頭の詩はこのブースにウクライナ語と日本語で掲げてある詩です。
ふくしま宣言や実際の新聞。たくさんの写真。そして2017年9月に撮られた30分以上もある福島第1原発のビデオが流れていました。

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今では4号機にシェルターができ、今のメインオフィスの中に「頑張って!あなた達は日本の未来を担っています」的な横断幕が掲げられてる映像が流れて、ここで作業している人やそのご家族の大変さを思うと、今何も考えずに暮らしてる私ってなんなんだろうって思いました。

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ウクライナで自国の事を知るすごく不思議な体験だったと共に、日本で何も見てない自分や知る事が出来ない現状が本当に辛かったです。

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そして、いよいよチェルノブイリ。

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こんな真冬のキエフに来てて、しかもチェルノブイリに行く物好きなんて私だけだと思ってたら、何と私含めて3人の日本人がいました。
世界にはクレイジーな人がたくさんいるんだなって思いました。

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チェルノブイリではまだたくさんの人が働いていて、笑いながら仕事をしていました。
ところどころガイガーカウンターがすごい数値を出す中で、それでも仕事をしてる人がいる。
それは福島も同じ。

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プリピャチの街は今でも笑い声が聞こえて来るようで。全てがそのままでした。

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スーパーのカートとか棚も、幼稚園、小学校の掲示もそのままで。
きっと何も起こらなければたくさんの笑い声に包まれた笑顔に溢れた街になってたんじゃないかな。

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川遊び、大型ショッピングセンター、遊園地、サッカー場…ゴーストタウンだけど元々希望に溢れた街だったのだなと伝わってきました。
完成間近だった観覧車。観覧車の底の部分が1番高い数値を示していました。

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プリピャチの街はまだ放射能値が高いところもたくさんあります。
でもキエフは平均以下です。10キロ地点でやっと平均を越えるくらいでした。

北朝鮮が核を廃棄すると発表するなど、最近核廃絶の動きが進んでいるような気がします。
しかし、原発も廃絶しないと本当の核廃絶には繋がらないと思いました。

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そして風評被害。放射能値が気になる人はガイガーカウンター持ってキエフでも福島でも行けばいいんじゃないかな。
たくさんの働いている人たちのおかげで、平均以下の放射能値を保っています。ここまで平和に暮らしていけるのは、今でもチェルノブイリや福島第1原発で働いてくれている方々がいるからです。

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核はたくさんの人の生活や笑顔を奪います。
それを1番身を以て知っているのは私たちです。
日本は福島第一原発の事も、原爆の事も過去の事にしすぎているのではないかと思います。
チェルノブイリとは違うと発言した事も含め、なぜ非を認めないのか。
冒頭の詩を読んで、私は涙が出てきました。
ここまで福島を、日本を思ってくれてるのだと。
なぜ異国の地で日本の今を知るのだろう。そう思ったら無念でなりません。

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日本とウクライナ。
広島長崎と福島とチェルノブイリ。
核の怖さを身を以て知っているからこそ、チェルノブイリとは違うとか言わずに、協力して助け合って発信していかなければならないことがあるのではと思います。

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