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【エッセイ】母の声

今から40年以上も前になるのだが、私が14歳だった時こんなことがあった。

母はヨガ教室に通っていた。
当時、今ほどヨガは知られていなくて、私も母は、「インドの体操」の教室に通っている、くらいの認識だったように思う。
ヨガは体の柔らかい母に合っていたようで、茶の間でもよくやっていた。
母はたまに、「あんたもやってみ」と私に猫のポーズや鷲のポーズなんかをやらせては、「体にええんやで」と得意そうにしていた。
本音を言うと体の硬い私に、ヨガのポーズはしんどかった。
だけど、母が楽しそうにやっているので私も楽しそうな顔をして、一生懸命足を上げたり体をくねらせたりしていた。
いつしか太陽礼拝のポーズをすることが、私と母の朝の日課になっていた。

ある日、私が学校から帰ると、母が茶の間から飛び出してきた。
「鼻うがいが体にいいんやて」
と、私の腕をつかんで洗面所へ連れていった。そして自分の手をコップに見立てて、鼻の片方の穴へ持っていきながら、「こうするねん」と水をすするような恰好をして見せた。それから、台所へ走って行き、湯呑にいっぱいに湯を入れて、こぼさないようにすり足で洗面所に戻ってきた。
「はい」
と、母から湯呑を手渡された私は、「嫌や、ようせん、怖いわ」と眉に力を込めて母を見た。
母は、私の声が聞こえていないような顔をして、「どうぞ」とうながすように、自分の手を私に向けて差し出した。
私は、しぶしぶ片方の鼻の穴に湯呑を持って行き、目を閉じて、思い切り吸い込んだ。
するとどうだろう。
ぬるま湯は鼻の穴をスルーっと駆けあがり、突き当りまで行くとストンとのどに落ちてきた。
私はそれを、ペッと吐き出した。
「あれ?痛ないわ、簡単やん」
と母の顔を見て、反対の鼻の穴もやった。
その後、大変な目にあうことも知らずに。

当時、私は学習塾に通っていた。
その日も早めに夕飯を食べ、塾に行った。
入り口で、脱いだ靴を取ろうとかがんだ時に、鼻から生温かい水が、スーッと、やかんの湯を注ぐみたいに流れ落ちてきた。
鼻うがいで出しきれていなかった水だ。
私はすぐに両手で鼻を抑えたが、水は容赦なく指をつたってこぼれ落ちてきた。
それは、吸い込んだ時よりもはるかに多く感じられた。
その時、運悪く生徒が次々と入って来て、鼻から水を垂らしている私を見て、慌てて教室の中に消えていった。

それから月日が経ち、私が50歳の時に母が亡くなった。
母との思い出はたくさんあるのに、たった一度だけやった鼻うがいのことを、たまに思い出す。
この間、風呂に入っているときもそうだった。
湯気の向こうに、あの日の出来事がぼんやりと浮かんできた。
私は湯船から出て、洗面器いっぱいに湯を張った。
それを鼻の下まで持っていきながら、目を閉じる。
ふーっ、と息を吐き、片方の鼻の穴をつけ思いっきり吸いこんでみた。
次の瞬間、
「ぎゃーっ」
私は、あまりの痛さに声を張り上げた。目と鼻の奥にわさびを塗りつけられたような、強い痛みに襲われ、しばらく目を開けることができなかった。
「え、なに?いまの⁈」
目と鼻の奥から水を垂らしながら、自分に何が起こっているのか、必死に考える。
「なんで?」
あの時は痛くなかったのに。
わけがわからない。

次の日の朝、私は洗面台の鏡の前で昨夜起こった悲劇について考えた。
「なんであんなに痛かったんだろう」
思い出すだけで、体が震えた。
だけど、何故か私は、もう一度やってみたいという衝動にかられた。
コップに湯を入れ、恐る恐る鼻の下に持っていく。
「本当にやるの?」
頭の中で自分の声が聞こえた。
「別にやらなくて良くない?」
と答える自分がいる。
「このままほっといて後悔しない?」
悪魔の囁く声がした。
私は意を決し、もう一度やってみることにした。
目を閉じて、震える手でコップを鼻の穴に近づける。
その時、耳元で別の声が聞こえてきた。
「塩、入れるねん」

母の声だった。




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