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はじめてのたまねぎ涙

最近息子が料理を手伝いたがる。
いいことである。高校生になったらお父さんに手料理を振る舞うのだと今から意気込んでいるので、高校生と言わず中学生でも小学6年生でもやっていいんだからね、とぼくは言った。
 
息子は、手先の器用さはあまりないと思う。注意が散漫というか、視野の狭さは気になる。これは普通の包丁を使わせていたらそのうち血みどろ料理になるなと思って子ども包丁を買った。
 
子ども包丁には2種類ある。
ひとつは刃がついていない包丁で、もうひとつは刃がついている包丁である。
刃がついていない包丁というのは要するに金属の薄い板である。おままごとに使う包丁と基本的に変わるところがなくて、野菜を力で叩き切ることしかできない。刃がついていないから手を切る心配はないが、それでは本当の刃物の使い方をいつになっても学ぶことができない。だから刃付きを買った。
 
貝印のその包丁は大人が使うと極めて使いにくい包丁である。なぜなら包丁のよいところがすべてなくなっているからである。カドというカドは丸められている。先端も丸められている。でもとりあえず刃がついているので食材をきちんと切ることができる。だから手も切れるんだよと息子に注意する。
 
猫の手だよ猫の手。気がつくと指先を伸ばしている。そんな危ない持ち方はお父さんだってしないんだよ。猫の手だよ猫の手。
 
まっすぐ押すと野菜が潰れちゃうよ。向こうへ押すか、手前に引くようにして切るんだよ。言いたいことは山程ある。危なっかしいのでついついこちらの口調が強くなる。
 
お父さんたまねぎで本当に泣くの、と息子が聞くのでじゃあやってごらんと玉ねぎのみじん切りをやらせることにした。まずひとつ見本を見せるからねといって、デモをする。わかったと聞くとわかったと返事をするがぼくはこのわかったは信じていない。
 
見ただけでわかるなんて嘘だ。実際に自分の手を動かしてみて、体験して、アウトプットしてみて初めてどういうことかを理解するのが本当だからだ。案の定たまねぎの置き方から苦戦している。根っこの部分を下にして置いて。根っこはどこから生えてくる?ちょっとしたことでも観察していないとわからないことがたくさんある。だから普段からよく観察すること。それはつまり興味を持つことである。
 
たまねぎを切り出して息子は泣いた。念願のたまねぎ涙を経験して嬉しそうだった。これがたまねぎ涙かと感慨深げに言った。よかったねとぼくは言った。

A7III + Loxia 2/50 F2.0

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