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「武蔵野」 国木田独歩

武蔵野の地に住むものとして、国木田独歩の武蔵野を読まずにはいられない。
武蔵野は武蔵野丘陵地帯であり、ゆるやかな起伏に富んだ土地である。しかし秩父に入るまで山はないのでとりたてて眺望に優れた場所というのも特にない。

独歩の頃の明治では渋谷も世田谷も田舎であり武蔵野の地はすでにそこから始まっているとある。江戸に栄えたのは東側であり、西側に住むのは農家ばかりであった。今では考えられないことである。
 
武蔵野が特別なのは楢の木がおおい雑木林がそこかしこに点在しているにつきる。楢の類は落葉樹だから冬になれば丸坊主になって、春新緑が芽吹いて、夏は天蓋を作り、秋に紅葉しながら落ちてゆく。こうした変化に富んだ森林は日本全国探してもあるようでないというのである。
 
また武蔵野の森というのはどこまでもつづく深い森ではなく、どちらかといえば林サイズであって、少しゆくと畑に出たり、農家に出くわしたりしてまた林に入るといった風情が独特である。それは今でも残っていて、だから森で迷うということはよほどの方向音痴でない限りまずない。
 
冬の森に入って適当なところで腰を下ろし静かに目を閉じていると様々な音が聞こえてくる。鳥の声、枯れ葉や枝が動く音。木々は葉を落としてスカスカだから温かな日差しが地面にまで差し込んでくる。独歩は枯れ葉の積もった柔らかいところへ座り、日向ぼっこをしていると時が過ぎるのも忘れてしまう。
 
ああ、わかるなあ。夏の森はじつに忙しないが、冬の森はゆったりしていて心地よいのだ。独歩が明治の時代に感じた武蔵野の森は令和の現代でも健在である。道路にアスファルトが敷かれたりして人間社会は様変わりをしたが、そこへいくと森などは独歩の頃よりもよほど豊かになったのではないかと思う。ただし数は減った。
 
人間にとって役に立たない、つまり金にならないという理由で森は切り開かれて宅地や工場地になっている。独歩がみたら悲しむだろう。いや、渋谷や世田谷の変貌ぶりをみたら武蔵野などとうの昔になくなってしまったと思うに違いない。
 
独歩のみた武蔵野はまだかろうじてその姿を残している。郷愁をさそう原風景のようなものはまだ残っている。願わくばこの先も残らんことを。

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