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他人との「距離感」を考える

ここ1~2年、人と関わるときに「距離感」を重視しすぎている気がする。
具体的には、他人と距離を取る方向に、自分と他人の距離を離す方向に意識がいきすぎているんじゃないかと思う。

まあこれは、他人に一気に近づきすぎて、後から「うわあ気まずい」ってなることが多かったから、その反省として一定の距離を取るようになったのだけど。

でも、なんかもっと「自然と心の距離が近くなる」ことに構えないようになりたいというか、相手のペースに委ねるような経験があってもいいなーって思う。技術とか作為が少なめの人付き合いに身を任せたいって思う。

これを書いてて、思いついたエピソードが2つあるので、(直接関連するかは分からないけど)順番に書いていく。

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1つ目。

この間、友達との飲み会で、共通の友達Aさんの話になった。Aさんは(特にコミュニケーションの取り方が)かなり変わってて、好きか嫌いかは微妙なところだけど、2人きりにはなりたくないな〜って感じの人。

話の流れで、こんな話をした。

「Aさんって、同じコミュニティの中でカップルができると、めっちゃ怒るんよ。私が前、同じコミュニティの人と付き合ったとき、相手のことを理不尽に批判してた。」

そしたらその場にいた友達がこんなことを言った。

「多分、Aさんは、仲良くなると他人も自分の一部みたいに考えちゃうんじゃないかな。だから、『自分の物』であるところの他人が、自分の予期せぬ動きとか、自分の望まない動きをすると怒るんだと思う。」

なんか私、この発言にすっっごく納得した。

私も、仲間内でカップルができて「なんかやだな〜」って思うことは時々あって、これって単純な嫉妬心なのかなと思ってたけど、もしかすると「他人」を「他人」として認識できないってのも原因としてある?!と思った。

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これに関連して、2つ目。

高校生の頃、仲良くなった子に「別の高校に中学からの仲良しがいる」ことが許せなかった。
すごく辛い気持ちになるから、私も中学時代の友達を「この子が一番仲良いの」って言ったりSNSに載せたりして、自己防衛をするというか、マウントを取るというか、劣位に立たないようにしてた。

これって色んな原因が考えられて「相手に期待をしている/自分が送った愛情分返してほしいと思っている」みたいなものもあると思うんだけど、
私の場合は「自他境界の曖昧さ」も影響している気がする。
「自分が見ていないところにも、その人の人生がある」というか「自分が関与しないコミュニティにも属している」みたいなことが、なかなか想像できなかった。

誰でも「そんな顔があるんだ?!」とか「そっちではそういうキャラ/立ち位置なんだ?!」みたいに驚くことはあると思うけど、そういうのとは程度が違う。
自分に見えない部分で、その人が生活しているってことが腑に落ちない、理解できない、理解したくない、という感じ。

大学生になったあたりから、「相手に期待しない」というか「自分に見せている『相手』がそれで全部」って思うようになって、一生懸命思い込んで、なんとか関係性は作っていけるようになったけど、全然不十分だったな。

てか今でも不十分なんだろうな。
それで「曖昧になること」を恐れて、ある程度距離を取ってしまう(取っている)のかなぁ。

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色々書いてよく分かんなくなってきたんだけど、なんかこう、構えなくても大丈夫な人、私が「ちょっとくらい距離感を間違えてもいいや」って思える人ができたらいいなぁ。
ほら、春だし!(全部ここに持っていく)

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