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双極性障害になった原因は?

みなさん、こんにちは。ちいかまです。

いつの間にか春が過ぎ、すっかり季節は初夏ですね。家の窓から見える桜の木も、青々しい若葉を風に揺らせてます。

さて、今回は私が考える双極性障害になった原因について書いていきます。双極性障害と診断された経緯については、前回の記事にあります。よろしければ、こちらも併せて読んでいただけると嬉しいです。


双極性障害になった心当たり

今までの人生を振り返ってみて、間違いなくあの瞬間だ!というのは難しいのですが、なんとなく思い当たる出来事がいくつかあります。点と点を結ぶようにして、現在に繋がったのではないか、と。


1、自分の居場所を確保できない幼少期

その日、私は幼稚園が終わった後も居残る、預かり保育の日でした。

当然、送迎バスに乗る必要はありません。夕方、母が迎えに来てくれるのです。みんながバスを待っている教室をそっと抜け出し、人気のない廊下に向かうと、足を投げ出して座り込みました。

「ちいかまちゃん!バス来たよ!帰ろう!」教室の方から、大きな声で教えてくれる友達。素直に「今日はお母さんが来てくれるの」と伝えれば良いものを、なぜか「先に行ってて」と。

友達は不思議そうな顔をし、わかったと返事をすると駆け足でバスに向かいました。今思えば、お友達に悪いことをしてしまいました。バスが発車した時、一人で不安になったかもしれません。

バスのエンジン音が遠ざかり、再び廊下に静けさが訪れました。世界に誰もいない気がして、このまま一人ぼっちなんだろうかと、悲しくなりました。

当時を振り返ると、2つの不安要素があります。

1つは、母の迎えを楽しみにできなかったこと。もう1つは、自分の居場所がここにはないと気づいたこと。

当時5歳でありながら、母とは仲が良くありませんでした。家庭に居心地の悪さを抱き始めたのも、この頃です。原因はいくつかありますが、家庭環境は人それぞれなので割愛します。

幼稚園の人が来ない廊下で、ひとり黄昏ていたあの日。仲のいいお友達がいて、自分の描いた絵が飾られた教室でも、寂しさがいつも隣にいました。

家族という生まれて最初のコミュニティでも、幼稚園という自由で小さなコミュニティでも、自分の居場所を確保できない幼少期でした。


2、学生時代のいじめ

月日は流れ、幼稚園の廊下で座り込んでいた私も、無事に小学校、中学校、高校に通うことができました。

思い出のほとんどは、楽しかったイベントより、苦しかった日々です。小学生から高校生まで、思い返せばどこかで何かしらいじめられていました。(いじめていた日々もあります)

※いじめについて知ってもらいたいこともあるので、詳しくはいつか書きたいと思います。


今でこそ、いじめ問題には敏感な世の中になっていますが、私が過ごした学生時代では暗黙の了解でした。

いじめる理由は簡単です。いじめておけば、自分はいじめられない

小学生のいじめは目に見えるもので、中学に上がるにつれ姿を隠すようになり、高校となるとそなたは陰陽師か?というレベルで、いつの間にか精神的ダメージを受けるいじめに変化しました。

前述した通り、私は幼少期より家庭にも外にも居場所を感じていませんでした。そんな境遇では、助けを求めるどころか、助けを求める発想すらありませんでした。

いじめが最も酷かったのは、中学2年生の時です。帰り道、マンションから人が飛び降りる光景を目にしました。次々と人が飛び降りるのです。怖くなった私は目をぎゅっとつぶりました。そんな幻覚を見るほど、精神状態はほとんど限界だったのでしょう。ついには、自分の住むマンションの屋上に立っていることもありました。


3、漠然とした不安の積み重ね

常に寂しさがまとわり付き、自分の居場所を確保できない幼少期。何年にも渡っていじめが続き、それを相談することのできない思春期。月日が流れると共に、私の中で漠然とした不安がどんどん積み重なるようになります。

漠然とした不安。経験したことがない人に伝えるのは、とても難しい感情です。けれど、言葉の節々から推測するに漠然とした不安を日々抱えている人は、案外多いように感じます。

まず、漠然とした不安に理由はありません。思い当たる節が全くないのです。理由なんて自分が一番知りたい!と思うほど、それは漠然としています。

ただ、最近になって理解しました。幼稚園の廊下に座り込んだあの日から、漠然とした不安はいつも私のそばにありました。



積み重なった不安は、やがて崩れる

漠然とした不安は、姿形は見えないけれど、確かに自分だけがその気配を感じることができるのです。

逆を言えば、誰かが気づかなくても、自分だけは気づくことができるのです。自分だけが、その不安を拭うことができるのです。


積もりに積もったたくさんの不安たちは、ある日、ガラガラと音を立てて崩れていきました。それがあの日。会社で文字が読めなくなった日。

自宅療養するよう言われ、休息することだけに集中していた中で、気づきました。私はずっと、ずっと、ずっと不安だったんだと。


双極性障害になる人は、いろんな背景があり、いろんな事情の中で生きていると思います。いじめとは無縁だったり、愛で満ちた家族がいたり。

けれど、共通して言えることは「自分のSOSに気づいてあげられなかった」こと。私はそう思います。


1日を心穏やかに過ごすことは、大変なことです。何もなかったと思っていても、どこかで不安を一つ積み上げてしまったかもしれない。それが何だったのか、いつだったのか、夜寝る前に思い出してみてください。

大丈夫。今日は不安を残していない。積んでしまったけれど、ちゃんと片付けた。そう思えたなら、明日も安心して過ごすことができます。


不安を拭う方法は人それぞれありますが、つまりは自分を労わるということです。美味しいものを食べたり、好きな映画を観たりすることも勿論、失敗を責めすぎない、起きてもいないことを心配しすぎない無理にネガティブ思考へ持っていかないということもセルフケアの1つです。

誰かに話してみるのも、とても効果的です。不安を抱えている人は、不安を解消するために話せばいいのです。解決なんてしなくても、自分はいま不安なんだと認識すれば、それは立派なセルフケアです。

怖いのは、気づかないまま不安だらけになってしまうこと。あっと思った時にはもう、積み重なった不安は音を立てて崩れていきます。


不安を抱えていて、不安の片付けがわからない人。誰にも打ち明けられず、いつしか不安の下敷きになってしまいそうな人。

もしよかったら、私に少しお話してくれませんか。一緒に少しづつ、片付けていきましょう。


では、また。

多くの人が日々、穏やかに過ごせますよう。




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