見出し画像

しりとりが繋いでいくもの

昨日の夜、交差点で信号が赤から青に変わるのを待っていたら、遠くから手を繋いだ親子が歩いてきた。

真ん中を歩くのは3歳くらいの男の子で、右手をお母さんに、左手をお父さんに繋がれ、地面を少しだけ浮いたように歩いている。絵に描いたような親子だ。

親子はそのまま近づいてきて、横断歩道の手前で待っている私のすぐ後ろに来た。楽しそうな声が耳に飛び込んできた。


ス・タ・ン・プ!


男の子は「スタンプ」の「プ」に音符マークでもつけたように、語尾を跳ねながらそう言った。

スタンプ?何かおねだりでもしているのだろうか。職場のアルバイトちゃんが「これ、可愛くないですか?お揃いにしましょうよ!」と鬼のように送りつけてきた、ゆるふわなイラストのLINEスタンプを思い出した。いいね、後で買っておくねと言って、買わないまま3日が経っていることも。

男の子が小気味よく発した「スタンプ」の言葉が、私の頭の中でぐるぐると駆け回っている中、お母さんの声が続いた。


プラネタリウム。


男の子はきゃっきゃっと笑い声を上げると「ム、かぁ〜」とつぶやいた。

ああ、そうか、しりとり。点と点がつながり、先ほどの「スタンプ」はおねだりでも何でもなく「す」で終わる言葉を受け取り「プ」で返しただけだった。

それにしても、しりとりで「プラネタリウム」を出すとは、なんて素敵な人なんだろう。私は一瞬で、背後にいる親子に惹きつけられた。


信号が青に変わる。横断歩道に踏み出した右足をすこしだけ止めると「む〜、む〜、むしかご!」と男の子の嬉しそうな声が、私を追い抜く。

今日は朝から冷え込んだ。桜もちらほら咲き始め、もう春がきたのねと思っていたのに、また寒さが戻ってきた。仕舞い込むか悩んだコートを、再び引っ張り出してきて正解だ。コートのポッケに突っ込んだ指先は冷たいけれど、前を歩く親子の背中を見ていると、温かい気持ちが広がった。


男の子はエナメルのピカピカした靴を履いている。およそ3歳の子が履くには少し不釣り合いな、大人びた、紳士的な靴。おめかししてお出かけだったのかな。それとも発表会か何かの帰りだろうか。青い信号機が放った光は、黒いエナメルの靴にキラキラと反射し、宇宙みたいに光っている。


私はこれまで、しりとりで「プラネタリウム」などと、一度でも返せたことがあっただろうか。


プラネタリウム。素敵な響き。意外性もあるのに、ちゃんと適切である言葉。文字数も申し分ない。なにより、品がある。知性がある。しりとり、とかいう凡庸な遊びが、一気に華やかになる。


しりとりは、相手に合わせることが前提の遊びだ。前に10歳の女の子と、7歳の男の子と一緒にしりとりをして遊んだ時、相手のわからない言葉を発してしまった。

決して難しくない言葉だったけれども「なにそれ」の一言で、れっきとしたルール違反とみなされた。


エナメル靴をピカピカ光らせて歩く男の子は、背丈から見ても、3歳くらいにしか見えない。そんな子を相手に「プラネタリウム」なんて返しちゃうのは、場合によってはイエローカードになり兼ねない。

それなのに、この親子は「プから始まる言葉はプラネタリウム」として、しりとりを成立させている。そうだよね、プなんてプラネタリウム以外あり得ないよね、とでも言いたげな声で、男の子は満足げに「むしかご」と続けた。


きっとこの親子にとって、プラネタリウムは思い出のひとつなんだろう。


少し大きな科学館に行って、天球に映し出された人工的な星空を見て「西の空に明るい星が見えますね」とか「夏の大三角って聞いたことありますか?」なんてお話をたくさん聞いたのだろう。

「この星からまっすぐ進むとお尻が見えてきます」と言われれば、人差し指をついっと滑らせるし、目線の先に現れた星に対して「なんの動物だかわかりますか?」と聞かれれば、必死に動物を思い浮かべる。

「ヤギさんです、そう、やぎ座です」の答え合わせに「パパの星座だね」なんて、顔を見合わせて笑ったのかもしれない。

科学館を出ると、西の空には一番星が光っていて「あ、金星だ!」と、みんなで指を差した夕暮れがあったのかもしれない。

言葉だけじゃなく、いろんな思いを込めて返した「プラネタリウム」なのかもしれない。


ああ、ひょっとすると、しりとりは言葉だけじゃなく、時間を繋いでいく遊びなんだろう。

スイカって返せば、やがて去年の夏に食べたスイカが見えてくるし、カメラって返せば、不意に初めて買ったカメラが見えてくる。スイカを一緒に食べた恋人や、趣味のカメラで仲良くなった友人のこともいっしょに思い出す。


私のプラネタリウムはまだ、私だけのプラネタリウムだ。

小学校の課外授業で出かけた科学館。そこで見上げた満天の星空と、淡々と流れるお姉さんの解説を思い出す。隣には誰かがいたのかもしれない。見知らぬお客さんか、あるいはクラスメートか。もしかしたら空席だったかも?

思い出せない以上、まだ、私だけの思い出だ。


「これが山羊座です」と言われ、思わず「きみの星座だね」なんて、隣にいる恋人の手を握りたくなる、そんな思い出がいつかできるのだろうか。

手を繋いだ親子は、ずっと前を歩いている。男の子はうれしそうにお父さんを見上げ「それは2回目だよ〜!」と注意している。足元に小さな宇宙を光らせながら。

なんだか無性に、好きな人としりとりをしたくなった。どうか「プラネタリウム」なんて素敵な言葉が、返ってきませんように。

この記事が参加している募集

スキしてみて

いつもありがとうございます。いただいたサポートで、瑞々しいりんごを買います。