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いつどこで、誰に会ってもいいように。

アカウントを変えたり、メディアを変えたりとしながらも、なんだかんだで長いこと文章を書いている私だけど、一番嬉しい瞬間っていうのは、私生活で関わりのある友人から「ここ好き」という感想が直接LINEで送られてくる時だと思っている。

もちろん、面識のない人や、いつも仲良くしてくれるフォロワーさんたちからのTwitterリプライ、noteコメントも嬉しい。読んでもらえて本当によかったと思うし、これからも書き続けようと思うパワーになる。

だけど私の友人たちは、普段はそんなに連絡を取らないくせに、思い立ったように「この部分すごいわかる」とか「この文読んでから生活に取り入れてる」とか、そりゃあもう愛おしくてたまらない感想と、ちょっと恥ずかしくなるスクショを送って来てくれる。

なんだよ、普段は何も言わないくせに。いいねもスキもコメントも残さないくせに、一番ダイレクトに届く場所で、私だけに感想をくれるなんて。なんて憎たらしくて、愛らしい友人たち。


中には「え、あなたも読んでくれていたんですか…」という意外な人物から突然、例の如くスクショLINEが届いたりして、とっても恥ずかしい気持ちになる。見られていると分かっていたなら、もっと違うことを書いていたのに、と。

すっぴん部屋着でコンビニに出かけたら、思いがけず懐かしい同級生に会うような、予想外の展開。しかもそれで話しかけられるのだ。ああ、私のこと覚えてくれたんだという嬉しさと、自分のみすぼらしさの曖昧なグラデーション。

どんなことが起きてもいいように、朝起きたら着替えて、せめて軽く化粧はしよう、と何度も誓ったものだ。思わず隠れてしまう、すっぴん部屋着みたいな文章は書きたくない。


いつどこで、誰が見ているか分からない。見られたくない人に見られていることもあるし、見ていて欲しい人にはどうしたって見てもらえないこともある。

いつでもどこでも、誰に見せても恥ずかしくないような文章を書いていきたい。この画面の向こうには数えきれない人たちがいて、ビューカウンターではただの羅列でしかない数字たちも、それぞれが、どこかで日々を生きている人間なのだ。


1が集まって100になる。今日が集まって人生になる。

どんな日でも常にベストな自分でいよう、と決意した、そんな1日。


2021.03.24 k i i a

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ちいかま
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