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わたしには効かないビタミン

「・・・サイテーだよ、この家」
 秀明は荒い息をついて、吐き捨てるように言った。
「どこが気に入らないんだ」と政彦が訊くと、赤く充血した目を向けて、「そういうふうに訊くところ」と言う。
「エラソーなんだよ、人のことバカにしてよお、なんでもわかってるって顔してよ、知ったかぶりすんなよ、何にもわかってねえくせに」
(中略)
「俺らずーっと、うんざりしてんだよ、あんたに。(中略)なんでも自分がいちばんだってカッコつけて余裕こいて、まわりのことばっかり気にしてよお、クソがよお・・・」(重松清『ビタミンF』P.295)

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 十代の頃、強くなりたかった。悔しいこと、切ないこと、悲しいことばかりだったから。毎日しみったれた気持ちを欠かさず抱えて生きていたから。自分の好きなものをバカにされて無防備に傷ついてしまったとき。周りに合わせて好きでもないものに興味があるふりをしたとき。感情をコントロールできなくて絶対に負けたくない相手の前で不意に涙が溢れてしまったとき。言い返すタイミングを逸したまま夜になってしまったとき。孤独を感じたとき。孤独は悪いことでも恥ずかしいことでもないと大人から諭されて、その言葉をひとつも信じることができなかったとき。強くなりたいと思った。強くなれば、そういうものを全部跳ね除けて、押し返して、そんなのどうでもいい、わたしはわたしだ、と言えるようになると信じていた。

 強い人間のふりをしていれば、いつか実際に強くなれるのだと何かの本で読んだ。だから自分に言い聞かせた。自分は強い、だから乗り越えられる。自分は強い、だから助けなんていらない。自分は強い、だから怒りや苛立ちや悲しみや悔しさを一旦押し殺して、笑顔を作れるようになる。そしていつしかわりとその通りになった。うわまじかーと思うことがあっても深呼吸すればまあ仕方ないと思えるようになった。絶対に負けたくない相手に負けたときも、大人の表情を顔一面に貼り付けておめでとうと言えるようになった。身体の芯の奥の奥から震えが巻き起こってくるほどの強い感情に襲われても、何も言わずその場を離れられるようになった。しばらく一人になって他のことに意識を向ければ、その後はある程度、何事もなかったかのように振る舞えるようになった。

 もう感情が爆発することはない。制御不能になって誰彼構わず当たり散らすこともない。かつてそうなりたいと思っていた自分の像に近づいた。まだ完璧ではないけれど、少なくともあの頃よりはずっと、ずっと強くなった。

 でもなんだろう、今も生きていることがわりあいしんどい。

 皮肉なのは、もう全部どうでもいいから今すぐここでぎゃあああってなれたらいいのに、と思ってしまう瞬間が定期的に訪れること。意味もなく大声で叫んだり、寂しいんだって泣いたり、何も考えず、誰にも遠慮せず、必死で冷静さを保って言葉を選んだり飲み込んだりすることなく、言いたいことが言えたら。そうしたらもう少し生きることが楽になるんだろうか。
 
 何十年ぶりに読んだ『ビタミンF』は相変わらず健全で、晴れやかで、どこまでも救いがあった。どの物語でも最後はみんな一様に前を向く。しかもその救いは家族とか友人とか自分以外の誰かから差し伸べられたもので、綺麗で、温かくて、優しくて、大正解で。だからどうしてもどこか現実味がなくて、いや現実そんなうまくいかないでしょ、世界ってそんな美しくないでしょ、って思う。ビタミン十分、優しい世界。大人が読む本なのかなあ。大人がこれを読んでよし明日からまた頑張ろうみたいな気持ちになるのかなあ。わたしにはよくわからなかった。とりあえず今すぐぎゃあああってなりたい。でもきっともう一生なれない。

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