読書録1:希望の分配メカニズム――パラノイア・ナショナリズム批判

Hage, Ghassan, 2003, Against Paranoid Nationalism: Searching for Hope in a Shrinking Society, Annandale: Pluto Press.(=2008, 塩原良和訳『希望の分配メカニズム――パラノイア・ナショナリズム批判』御茶の水書房.)

現在、メルボルン大学の教授をなさっているガッサーン・ハージ氏といえば、『ホワイト・ネイション』が有名。今回は、日本語で読めるもう一冊の『希望のメカニズム――パラノイア・ナショナリズム批判』を読んでみました。

まず、ハージ氏は社会を希望の分配メカニズムと定義します。そして、「憂慮する」ことと「思いやる」ことを明白に区別します。すなわち、前者とは「ナルシスティック」な感情であり、後者は「より間主観的な感情」であると。新自由主義経済政策後のオーストラリア社会には、「思いやる」行為が不足しており、この種の情緒的つながりは、希望を分配する社会の能力と緊密に結びついていると論じます。

では、なぜナルシシズムが進行したのか。それは、オーストラリア史における黒い部分、すなわち植民地主義時代と大きく関わってきます。まず、「母なる大地」に対応して、ナショナルな想像界を「父なる土地」と定義します。

母なる大地と父なる土地の関係において、母なる大地は父なる土地によって良く秩序だてられ、服従させられているときには、平穏・扶養・希望をいつでも分配する準備ができているものと想定されている。父なる土地が機能不全に陥った結果、母なる大地がもたらすそうしたものが欠乏する。

しかし、オーストラリアでは上記が当てはまらない。なぜなら、前提となっている「母なる大地」がアボリジニたちから建国者たちが奪ったものであるから。

パラノイア・ナショナリズムとは、対外的脅威ではなく、この「父なる土地」と「母なる大地」との関係悪化によって発生するのです。そして、それは、自分が安心の源泉と認識しているもの(=「母なる大地」)が自分を傷つけるのではないかと恐れるあまり、それを全面的に信頼して関わることができないナショナリズムの回避的な形態でもあります。

 回避的ナショナリストたちは、自分たちの属するネイションが自分たちに母性的な抱擁を与えてくれることを欲するが、それを拒絶されることを恐れるあまり、ネイションに近づきすぎることができない。つまり、回避的ナショナリストは、自分を養うことのない母なる大地という現実に抵抗し、将来に生じるであろうと願う理想の母なる大地への愛情を強める。

しかし、ネオリベラル的制作が非ー養育的な社会的現実へと移行すればするほど、「母なる大地への希望」はますます非現実的なものへとなっていく。ここに防衛的メカニズムのパラノイア的特徴が出現するのです。他者(=移民、難民)のまなざしをナショナルな主体(=オーストラリア国民)が対処できなくなり、ナショナルな主体が抱く「母なる大地への希望」を脅威に貶めるおそれがあるとき、ナショナルな主体のナルシシズムが進行するのです。

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