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いつも雨

文章を綴ろうと思う時、雨が降っている日が多い気がする。


一昨日、約三週間ぶりにバイトに行った。
人生史上今の所一番大きな試練の中にいるはずの私なのに、普通に、バイトに行けてしまった。
もっと慈悲深い自分だと思っていたのに
ケロッとしているわけでもなく、かといって、もとの元気満々の自分がいるわけでもないが、仕事も難なく熟せてしまった。

「無理しないでいいからね」
この甘い言葉を突っぱねた事は過去に一度だってないのが私だ。
元々「無理だけはしない」で通している人間なので、人に言われなくたって無理はしないたちだ。

だけれどここ最近は、自分が無理をしているのか、していないのかすら分からないままでいる。
夜、全く眠りにつけなくなった。という点と、眠りにつけても三時間程度で眠りがすぐに解けて朝一番で音楽も聞かずに散歩に行く習慣が着いた。という点から、無理はしていないけど、なんだか‘’無理そう”な自分がいるのは確かなことが分かる。
なんだかずっと、生ぬるい。

人間の中に誰しも飼っている小さなもう一人の自分が身体の中にもしいるのだとしたら、今はそいつが「ちょっと買い物に行ってくるね」とフラっと出ていったきり帰って来なくなってしまっている状態なのだと思う。
帰ってくるか来ないか分からないけど、なんだかもう一生会う事ができなそうな気がしてならない。


今日もバイトだ
こんな雨だけど、最寄り駅より二つ先の駅から電車に乗ることにする。ちょうどピンクフロイドのEchoesが聴き終わるか終わらないかぐらいの距離だ。


電子音って良い。
宇宙人の会話みたいで。
私の耳にこびりついている病院の心電図モニターの「プップップ」という音と交差して居心地の良さまで感じてしまう。



大好きな大好きな大好きな大好きな
母が
五十六歳で、お空の上に行ってしまった。

「まだ」なのか、「もう」なのかは、母自身が自分で決める事だ。
私は母の、波瀾万丈で壮絶でありながら煌びやかな人生を、二十何年という短い時間しか見ていないけれど、しっかりこの目で収めてきたつもりだ。


人生ってきっと、長さじゃない。と思う事で今は自分の心を必死に宥める事しかできないけれど、実際事実だとも思う。
それはきっと母も先刻承知していたはずだし、私が何より心得ている事だから、母もお空の上でぶつぶつ文句を言いながらいずれは納得して見守ってくれる事だろうと思っている。


今はただ私の中のもう一人の自分が買い物から帰ってくるのを今か今かと待ち侘びながら、眠りが深くなってくれることを願うだけで。
みんなが幸せなら今はそれをただ眺めていたくて、母が引いてくれたレールを少し辿りながら自分なりの価値観と解釈の仕方で「人生」について考えていきたい。


私は母の子だ。
仏にも鬼にもなれる子だ。
強いはずなのだから。



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