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突然ですが、

みなさんは

目に
『見えるモノと見えないモノ』、
どちらが大切

ですか?


いきなりの質問ですが、
答えは十人十色。

人それぞれでしょう。
(じゃあ、聞かないで……
と思われるかもしれませんね 汗)


ちなみに

わたしは

どちらも大切

です^ ^

……卑怯な答えでしょうかね?


最近、

目に
『見えるモノと見えないモノ』
について、

ふと
考えて見たとき、


これって
どちらも現れ方が違うだけで、

究極
どちらも同じモノなのでは……?

と思ったのです。


いやいや、

何を言っているの?

目に『見えるモノ』は実体があって、
目に『見えないモノ』は実体がないから、
全然違うでしょう!

と思われるかもしれませんよね。


『目に見えるモノ』と言えば、
例えば、お金、物、人など。

『目に見えないモノ』と言えば、
例えば、心、記憶、言葉、情報など。
(情報は文字にすれば見えますけど、
そもそも目には見えない、という意味で)


それらの例を挙げると、
かなり違うモノだと映りますよね。


お金にならないし、
記憶にできないし、
言葉そのものには変換できません。


けれど、

例えば、

お金には実体がありますが、

そのお金価値を見いだしているのは
わたしたちの、『目に見えない』総意です。

そのお金という紙や硬貨
何かと交換できる価値があると信じている、
その総意がないと、

お金
ただの紙切れや金属の塊

でしかありません。

ただ、

総意だけだ

わたしたちはこの資本主義社会で
何を買うこともできません。


でも、

だからこそ、

『目に見えない』わたしたちの総意
お金に価値を与えることによって、

わたしたちの経済
お金を介して回してくれています。


たとえば、

感謝の心を伝えるのに、
物を送ることがありますよね?

心は『目に見えません』が、

それを
目に『見える』物で相手に示す
ことができます。


勿論、

目に『見える』物以外にも、
言葉で伝えられるかもしれませんが、

あえて

目に『見える物』を渡すことで
分かりやすく感謝を表わす
ことができます。


断捨離
思い出の品を捨てて、

その品の実体は無くなっても、

その目に『見えない』記憶
わたしたちの心の中に有り続けます。

勿論、

新たな品を買って
これから思い出を作っていくことだって
できます。


目に『見えるモノ』いい
目に『見えないモノ』悪い

目に『見えるモノ』悪い
目に『見えないモノ』いい

ということではなく、

どちらも
わたしたちの心が思う在り方(実体の有無)で
存在してくれている
だけ。

そういう気が
するのです。

2つで1つ、

というか、

わたしたちの心次第で、

『見えるモノ』にも
『見えないモノ』にも

変幻自在に変わっていくのだ

と思ったのです。


例え、

大切な人と
お互い離れた場所にいても、

心は繋がっていると感じるのは
見えないモノ(心)を信じているから
でしょう。

勿論、

物理的な肉体を持つからこそ、

会ったときに
お互いの存在を感じる
ことができます。


言葉や情報

『見えない』形(音声で聞く、など)ことも可能
ですが、

それを自分が望む形、

例えば
文字や絵で目に『見える』形にすることも
できます。


すべては

わたしたちの心次第。


『見えるモノ』と
『見えないモノ』の存在する割合
も、

わたしたち
それぞれが心地の良い割合が
一番いい。


『見えるモノ』が多い方がいい人は
物に囲まれてにぎやかに暮らせばいい。

『見えないモノ』が多い方がいい人は
思い出を抱いて軽やかに暮らせばいい。


そのときどきで、

『見えるモノ』と『見えないモノ』の割合が
変化していくのもいい
のかな、

とも思います。


……と、

そんなことを
ふと思った今日この頃。


だから何?
という感じですが、


ちょっと面白いなと思ったので、
記事にしてみました^ ^


それでは、
次の記事でお会いしましょう♪

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