リモート(離れて)ワーク(仕事)したら近づいたもの
2020年にコロナウィルスが登場して以降、私たちの生活は一変した。
人と人との距離を保つことが優先され、オフィスに行くことも制限され、ひとりひとりが物理的に離れた状態で働くことが強制されたのだ。
職場の同僚と机を並べて仕事をし、会社の食堂でくだらない話をしながら軽い息抜きをして、夜になれば皆で居酒屋に繰り出し会社や上司の悪口を言って気持ちをリセットして家に帰る。
そんな、日常が奪われてしまったのだ。
しかも、突然に。
物理的に皆がばらばらになった。
コミュニケーションは基本的にチャットやメールベース、テキストベースへと変わった。
私は物理的な距離とひとの気持ちには強い関係性があると信じている。
学生時代に遠距離恋愛という言葉がはやったが、そんなものは机上の空論であり、遠くに離れて暮らしたら人の心は遠ざかり壊れるに決まっていると思っていた。
実際に、周りで遠距離恋愛をしている人たちも次第に気持ちが冷めてしまって最終的には別れてしまっているケースがほとんどであった。
だから、リモートワークが始まった時に、人間関係という意味では失うものしかないだろうと思っていた。
あれからもう4年がたった。
私たちにとってリモートワークは日常となった。
会社の同僚との人間関係はどう変わったのだろう。
「相手の機嫌がいいのか悪いのかがわからないので連絡しづらい」
「気軽に相談したりディスカッションしたりするのが難しい」
「一人で自宅で仕事をしていると組織とのつながりを感じられない」
最初はこうした意見が大半を占めていたし、私も同じことを感じていた。
コミュニケーションの観点ではやはりマイナスの影響が多かった。
ただ、しかし、である。
この4年間を総括すると、リモートワークがもたらしたものの中には、絶対に想像できなかったことが多くあり、その中のいくつかは非常にポジティブなものであった。
ここでは、リモートワークの日常が我々にもたらしたものについて、私なりの視点からいくつかご紹介したい。
皆さんにも共感いただける部分も多少あるのではないかと思っている。
もたらしたものの一つ目は、同僚のEQ(心の知能指数)がいままでよりよく分かったことである。
リモートワークの日常は基本的にはテキストベースのコミュニケーションであるが、テキストの方がEQの高低があらわれると思う。
EQが高い人は、テキストに自分の感情をうまい程度に込めるのが得意で、相手の感情に訴えることも得意である。
それは、例えば、文章の初めと終わりにあらわれる。
EQが高い人は、あえて、文頭に「あ、」「え!」「ありゃ!」とか入れてみたり、文末は「w」や「笑」や「感情にかかる変わった絵文字」を入れるなどする傾向があるし、文章全体からは伝わってくるのは、相手の心と会話をしようとする想いである。
EQの高い人のつくるテキストにはそうした独特の風味がある。
一方で、EQが低い人のテキストには、どこか無感情でロボット的な風味が漂っている。
ビジネスにおいてコミュニケーション能力はとても大切であるが、よく言われるのは非言語コミュニケーションの重要性である。
そして、非言語コミュニケーションとEQの高さには密接な関係性があり、EQが高い人は非言語コミュニケーションが高く、それがテキストベースのコミュニケーションにおいても独特の風味としてにじみ出るのだと思う。
そしてリモートワークの日常がもたらしたものの二つ目は、感情のコントロールがしやすいという点である。
最近はジャーナリング(思っていることをひたすら書き出す行動)という習慣がはやっているが、これは人間の脳の回転速度に影響しているということを聞いたことがある。
人の悩はおそろしい速さで情報を処理し続けていて、さらには悩みごとなどネガティブなことを考えるのが大好きらしいのだ。
つまり、人の悩の中には悩み事が次から次へと湧き出てきて、整理や処理ができずにすぐにテンパってしまう性質があるのだ。
ところが、考えていることを紙に書き出そうとすると、脳の回転速度が程よい速度に落ちてくるのだ。
程よい速度で悩み事がひとつずつ浮かんでくるので、頭な中がどんどん整理されていくというのがジャーナリングが悩に効果があると言われているからくりだと思っている。
私も毎日1時間ジャーナリングを数か月続けたことがあったが確かに頭の回転速度は遅くなるのを実感した。
リモートワークの日常がもたらしたものに話を戻そう。
つまり、テキストベースのコミュニケーションにおいては、対面で会話するときに比べて人間の脳の速度が落ちるということを意味している。
感情的になりやすい人は、対面の会話だと相手の言葉や態度に即座に反応して、感情を相手にぶつけてしまうことも多かったと思うが、テキストベースにおいては脳の回転速度が程よく遅くなってくるので、感情も自然と収まりやすい。
結果として、アンガーマネージメントなど感情のコントロールがしやすいのである。
怒りを収めるために6秒数える6秒ルールというのがあるのを聞いたことがあるが、テキストベースのコミュニケーションにおいては自然とこの6秒ルールが適用されるのである。
結果として、瞬間的な感情によって人間関係にヒビが入ってしまう機会がとても減少した。
これも、リモートワークの日常の生み出したものである。
さらに、リモートワークの日常は職場の人間関係だけでなく私の家庭内の人間関係にも影響を与えた。
私の家族は、妻と10代の2人の娘、それと白い犬によって構成されているが、リモートワークが始まる前の私の日常は、5時台に家を出て夜中の12時頃に帰宅するというとんでもない生活だったので、平日は妻や娘や白い犬と会話をすることはほとんどなかった。
関係が悪いわけではなかったが、深い話をすることもなかった。
リモートワークが始まってからは、会議などの予定がひと段落する夕方以降はリビングやダイニングテーブルで仕事をしていることも多く、自然と妻や娘や白い犬たちとコミュニケーションをとる機会が増えた。
仕事先でのトラブル、学校での友達とのいざござ、アルバイト先や部活動でメンバーとのトラブル、就職や彼氏のこと、大好きなおもちゃやお気に入りのドッグフードがどれであるかなど、いろいろなコミュニケーションの機会が生まれたのだ(白い犬との非言語コミュニケーションも含む)。
もし、この4年間リモートワークでなかったら、妻や娘や白い犬と関係は今よりは間違いなく冷め切った感じになっていただろう。
娘たちは近い将来いずれ結婚して家を出ていくことになる、白い犬も虹の国へ旅に出るだあろう。
だから、家族メンバーと深いコミュニケーションをとりながら一緒に過ごせるこの時間は何物にも代えがたい貴重な時間である。
リモートワークの日常は、こうした私のとってかけがえのない時間をもたらしてくれたのである。
そして、私は、気分転換の意味もあり、4年の間、リモートワークをする場所をコロコロを変えてきた。
我が家にはいわゆる書斎というか私の部屋は存在しないので最初は妻との寝室、それから娘たちの部屋(もちろん娘の了解を得て)、ときに白い犬のゲージの真横にあるデッドスペースで仕事をしてきた。
それぞれの場所で働いていると、家族のメンバーの温かみや生活というかそれぞれの風というか空気を感じるのである。
娘たちの部屋には娘たちの空気が、、、
白い犬のゲージの横スペースには白い犬の空気が、、、というか獣臭が、、、
それぞれ感じられた。
そうやって家族の空気が感じられる場所で働いていると、自然と家族の生活に思いを寄せることができ、それぞれに対する愛着が今まで以上に感じられたのである。
これらが私にとってのリモートワークの日常がもたらしてくれたいくつかことである。
私にとってのリモートワークは、文字通り日常であり、生活の一部となった。
リモートワークという言葉は離れて(リモート)働く(ワーク)と読める。
ただ、私にとってはリモートしたのは物理的な働く場所だけである。
むしろ、会社や家庭での人間関係には多くのポジティブなものをもたらしてくれた。
結果として、離れて働いたら、周りの人間の心はどんどん近づいてきたのだ。
コロナウィルスは人類に甚大な被害をもたらした、これは間違いない事実である。
ただ、同時にリモートワークという新しい日常が始まった、我々がこの経験から何を感じるのか学ぶのか、それが試されている気がする。
私は、リモートしたことで近づいてきたことを大切にしたい。
人間の心を大切にして生きていきたい。
我々はあらかじめプログラミングされたロボットではないので。
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