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ドイツの幼稚園で娘が友達に「嫌だ!」をはっきり言えるようになった話

娘が言葉も文化も全く違うドイツの幼稚園に通い始めた話の続編です。

やっちゃダメなことは先生が他の子を叱ってくれる!

と日本式に思っていた娘(+私)が

「嫌だ!」を自分で言うことが大切と最近気づきました。遅いけど😜

この違いは日本とドイツ(他の欧米でも似たところはあると思いますが)の文化の違いと教育における考え方の違いによるものだ、と思うので考えまとめてみます。今後日本の幼稚園からドイツや欧米の幼稚園に転園される方の参考になれば幸いです。

一番大きな違いは自分で嫌!ということ

周りの言葉、人種、生活習慣等の表面的な違いを除くと一番大きい違いは

嫌なことは嫌と自分で言う

ということだと思います。

日本では友達に何か嫌なことをされたら、先生に言えば先生が仲裁に入ってくれていたようでした。でもドイツの幼稚園はそうではありません。

先生はかわりに叱ってくれない

通園し始め、遊ぶお友達もできてからこんなこと言うことが出てきました。

「XXちゃんが、私のおもちゃ取ったの。これってよくないことだよね。」

「XX君が私のこと叩いたの、ダメだよね」

そうだね、ダメだよね。と娘に返事をしながら状況を聞くと、先生は仲裁にはあまり入らない。娘は言葉もできないのでそのまま悲しい気持ちで引き下がっていた様子。

勇気を出して先生に言っても「あら、そう。痛かったね」という程度。

娘としては不満げ

※ただし、泣くほど叩かれる、ケガする、等はもちろん先生が仲裁します。ここで言うのはそこまで行く前の状態

娘としてはこれを私に言うことで、何とかしてほしい、と思っているようでした。日本の保育園であれば先生に同じことを言って、先生が間に入ってくれていたのだと思います。が、ドイツではそもそもの考え方が違うようです。

なぜこの違いが生まれるのかを考えてみました。

1.言語、文化面での違い

  日本

文化、言語の特徴として相手の気持ちを汲むことが重要とされる日本では「これしたら、きっと相手は嫌だろう」と推し量ることも大人になると求められるから、教育の一環で先生や周りの大人がそれを代弁しながら仲裁する。

「おもちゃ取られたxxちゃんは、どうおもったかな。嫌だったんじゃないかな。ごめんなさいだよね」

というように。

  ドイツ

文化、言語の特徴からドイツでは相手の考えを推し量ったり、言外の意味を読み取ってもらうという期待はしないことが当たり前になっています。だから思ったことははっきり(日本人からするとはっきり過ぎる程)周りに表現します。

「されて嫌なことは自分で嫌とはっきり言う!意見ははっきり言う!」

ことが重要視されていると感じます。

現に娘が友達にいやなことをされ「No」 を言った時、先生がとても評価していて、娘を褒めていました。

2.常識

1,にも通じますが。

  日本

大体同じ文化背景があり、似た価値観の人のコミュニティが多いため、常識があります。常識からみた行動の善悪、相手は嫌だろうと思われることはある程度共通しています。だから相手が嫌なことをした方が一方的に悪くて、された方は悪くない、という考え方が存在します。

だからそもそも相手が嫌がりそうな行動をとらないことを求めます

  ドイツ

移民等様々なバックグラウンドの人が多く様々な価値観が存在し、共通の常識が日本と比べ少ないため、相手がどう思うかを推し量るのが難しい、んだと思います。結果相手がどう思っているかを考えて行動することを子供に求めず、嫌なら嫌と自分から言う、嫌だと言われたら止める。ことを求めるのだと思います。

娘が嫌という!ことを納得するまで

嫌なら嫌、と言おうね

とは何度か説明したものの、今までの娘の人生で培った考えを変えることは中々できません。言葉もあまりできないのも難しくさせてました。

娘は度々幼稚園で誰かがこんな嫌なことを自分にした、と私に伝えることで日本と同様誰かが仲裁に入り相手を叱ってくれることを求めていたようでした。その時、嫌だ、とはっきり言えなかった様子。

嫌だ、とはっきり伝えよう、と娘には言ったもののあまり腹落ちしていない様子でした。

そんなある日娘は幼稚園の友達が、別の友達に

Ich mag das nicht!(それは好きではない)

というのを聞きとってきました。

私に聞いて意味が分かった娘は、同じことを何人もの友達や先生が言っていることを思い出し、これは言うべきことなんだ、と気づいたようでした。

顔がパッと明るくなりました。

きっと周りの子や先生も同じように

「嫌なことは嫌」とはっきり

言っている、というのがわかったのが、腹落ちした一番の要因と感じました。

まとめ

日本→相手の気持ちを推し量る、相手が嫌がる行動をとらない、ことを重要視した教育

ドイツ→相手の気持ちを推し量るは余りせず、されて嫌なことを嫌ということを重要視した教育

日本からドイツに転園した際は幼稚園の教育方針がこのように変わるため、子供に求められることも変化する。他の子も同じようにやっているとわかることで安心し、自分も行動できる場合もあると思います。


今日も最後までお読みくださりありがとうございました。

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