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オペラの記録:バイエルン州立オペラ、チャイコフスキー作曲《エウゲニ・オネーギン》(1月14日、ナツィオナールテアター、ミュンヘン)


1月14日、バイエルン州立オペラのチャイコフスキー作曲《エウゲニ・オネーギン》を観ました。以下《オネーギン》と表記します。

ナツィオナールテアターの入り口に立って振り向くと、右はヴィッテルスバッハ家の王宮、レジデンス。

左はパレ・アン・デア・オーパー。
フィレンツェにあるブルネレスキ設計の子供慈善病院がモデルになっています。
現在はレストランなど。


《オネーギン》はプーシキンの同名小説を原作とし、チャイコフスキーが自身でテキストも手がけています。

私自身は20歳前後、ロシア文学に傾倒していた時期があり、その時に読んだプーシキンの《オネーギン》に大きな感銘を受け、それ以降現在に至るまで「もう好きすぎる」作品です。

そこにチャイコスフキーが書いた音楽が、もう素晴らしい!
感情の露出につける管弦楽は、モーツァルト(時代が違うとはいえ)もワーグナーも、そしてヴェルディもここまで書けなかった、と思います。


プログラム。


現在の制作の初日は2007年10月31日でした。

キャスティング。名前を見てもわかるように主役級はみんなロシア出身、他もロシア出身が多いです。

歌手の中で最も感銘を受けたのはグレーミンを歌ったギュンター・グロイスベックでした。
この役はバスの深い声が要求されます。ロシア人バス歌手が最も得意とする役の一つです。しかしグロイスベックはロシア出身ではなく、ウィーン出身。

グレーミンがオネーギンを前に歌い上げる静謐な幸福は、タチヤーナとオネーギンの情熱とは真逆です。グレーミンは2人の過去も知らないだろうし、どうかすると「知らぬが仏」的な、ややもすると茶番的な役回りになってしまいます。

あるいは噂くらいは知っていたが、知らぬふりをしている。
その『大人のふり』、『善人ぶり』が『変な人』がほとんどのオペラ作品ではわざとらしく、浮きまくってしまう。

歌も、驚くほど単純なメロディーです(単純な幸福には単純なメロディーが付けられている)。

ところが、グロイスベックほどの歌唱力と表現力だと、彼がいうところの幸福を素直に信じざるをえない。疑う余地がない。素晴らしい説得力なのです。

そして、もしかしたら、タチヤーナと親友レンスキーを殺したオネーギンの過去全てを知った上で、オネーギンに『人間の幸福とは何か』という命題と彼の信条を突きつける重要な使命を帯びているのかもしれない。
そうも思わせるのです。

やはり、一流歌手による歌、そして音楽の力は素晴らしい。


カーテンコール。
左からトリケ役ケヴィン・コナーズ、レンスキー役ボグダン・ヴォルコフ、グレーミン役ギュンター・グレスベック、オルガ役ヴィクトリア・カルカチェーヴァ、オネーギン役ローマン・ブルデンコ、タチヤーナ役リンゼイ・アンマン、指揮ティムール・ザンギエフ。


スター演出家の一人、ワルリコフスキの演出はかなり?です。
例えば、邪魔になったのは、男性たちがストリップ、女性が彼らの紐パンにおひねりを挟んだり。

重要な場面で女装した男性たちが登場したり。男性バレエ・ダンサーが演じているのですが、なんだかなぁ…

オネーギン → オブローモフというロシア文学のモデルの系譜。

(さらに私個人としては、さらにオブローモフはJ.シュトラウス作曲《こうもり》のオルロフスキーにつながります。)

ただ、その退廃的雰囲気を女装の男性たちに表出させるには無理があると思うのです。

そして・・・気が散る。

ちなみに、これまで私が観た《オネーギン》の演出では、ペーター・コンヴィチュニー(ライプツィヒ・オペラ)とバリー・コスキー(ベルリン・コーミッシェ・オーパー)が秀逸でした。

上記写真は©️Kishi

以下は同オペラのHPです。
写真が4枚掲載されていますが、その下に「MEHR LADEN」という文字があるので、そこをクリックするとたくさん出ています。


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